水汲みは本當に樂しかったのか

水汲み、もとい、航空機內Wi-Fiに關する怨嗟Xトヰッターにて目にした。

この怨嗟から眞っ先に思ひ浮かんだことは、現代人からすると重勞働でしかない水汲み。上/下水道が整備されてをらず、人力で水を汲むしか術べが無かった當時も無論重勞働だった譯けだが、時に憩ひだったらしい。Wi-Fi環境不良的免罪符に成りえたからだらう。

とは言へ、眞に憩へるかどうかは同道者に據るだらう。

日頃の(重)勞働から解放されるとは言へ、同道者がパワハラッサー、モラハラッサー、セクハラッサー(の三重奏)では日常よりつらい。ひとりであっても、花鳥風月に疎ければ、自然豐かな道も樂しみに缺けさう。舖裝されてゐない道を、(上記加害者を時に含む)譯けの分からん生き物に圍まれて、數時間步かされるって、普通に苦行だし。

以上を踏まへるに、「水汲みは當時しば〳〵憩ひだった」といふ證言は、生存者證言依據型偏見 (いはゆる生存バイアス) なのかもしれない。無論、上記證言をくれた人々を批判したい譯けでも、彼らが同道者ガチャに惠まれたことを、なぜか今更、當事者でもない自分が(、Xに謎に一定數居る連中のやうに)妬んでゐる譯けでもない。

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黒木 邦彦
しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり