Disclosure トランスジェンダーとハリウッド:過去、現在、そして 感想
こんにちは、琴乃です。note不具合もう大丈夫かな。
今日はタイトルの映画を観た上で、私なりの「そして」を話します。
まず皆さんにお伝えしておくべきは、私のジェンダーはシス女性だということです。とりわけその認識が強いです。
そしてトランスアライです。
シスジェンダー
からだの性とこころの性が一致している。
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トランスジェンダー
からだの性とこころの性が一致していない。目には見えないが、こころの性をジェンダーアイデンティティ(性自認)とする。
不一致の度合いはひとりひとり違っており、性転換手術は本人が希望する場合にのみ行われるのが望ましく、性転換手術をせずとも自身が自認する性別で生きる権利がある。
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性同一性障害
医学用語。
違和感や苦しみなどを指す言葉で、ジェンダーアイデンティティ(性自認)ではない。
つまり性同一性障害=トランスジェンダーではない。この症状の度合いもひとりひとり違っている。
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トランスアライ
当事者ではないが、自身と異なるジェンダーの方が社会で置かれている立場を理解し、権利を尊重・訴えることを明確にする。
(様々な媒体などや個人の声を見て聞いて自己解釈したもので、どこかから抜粋した言葉ではありません)
そんな私が個人的に、語弊を恐れず言うと、トランスジェンダー女性が「私は女性だから、女性として生きることに喜びや幸せを感じる」という気持ちを抱くことに対して、すごくわかると言いたいです。
お前に何がわかる?と言われるとしても。
トランス女性とジェンダーアイデンティティが違っても、女性であることは同じだから。
そしてその喜びや幸せが奪われることを許さない意思表示を常にしていきたいとも言わせてください。
人間は誰もが自分の存在を祝福すべきですよね。
でも誰かに自分を否定されたら、潰されてしまうことは、当たり前のことと思います。
立ち向かって!負けないで!とは、簡単に言えません。
もちろん私はトランスの方と同じ気持ちだとは言いません。でも、当事者の声を聞いて、同じ方向を向くことは出来るはずです。
そしてあえて言及しておくと、トランスの方々を"可哀想な人"とは一切思わない。自分のジェンダーを理解し、どう生きたいかを自力で導き出した人ばかり。
どこにも同情するところはなく、尊敬するところばかりです。
相手が誰であれ、どんな話題であれ、全てのジェンダーを尊重できる人間でありたいです。
注意深くなることは、当事者の苦悩とは比べ物にならないほど容易いこと。たくさんの方がこう思っていることと解ってますが、責任を持って 声 とされることがまだまだ少なすぎる。
ハリウッドに限らず、もう何十年もトランスの人権を侵害する作品が生まれ続けていますよね。
どういった作品かについてご存知ない方はDisclosureで確認してもらえたらと思います。
日本のテレビ番組や一部の芸能人も、差別用語を使うのをやめて欲しいし、お笑い芸人も、トランスの人々の自己肯定感を下げてしまうネタは作らないことを大前提とすべきですよね。
いい加減にしてほしい。
トランス差別や嫌悪を助長する作品は、これ以上つくられてはならないことは当たり前ですが、向き合うべき大きな問題があります。
それはまだ"トランスに対して何を言えば人権侵害か"について浸透していないことです。
堂々と言えることではありませんが、私自身も網羅できている自信はありません。アライだとこうして公言しても、間違った発言をしてしまうかもしれない。それが何より怖く、今まであまり声を上げてきませんでした。
でも自分がちっぽけな存在であるとしても、間違いをおかすかもしれなくても、黙っていることはもう出来ないほど、いい加減にしてほしいと思うのです。
Disclosureの中で、カルメン・カレラというトランス女性が、ケイティという方がホストのトーク番組で最初に「下半身に変化があったそうね」と質問されていて、「(性転換)手術の話は個人的だからしたくない。モデル活動の話をしたい。
手術をした後も人生は続くと伝えたい。」という風に返します。
そしてその後にラバーン・コックス(オレンジ・イズ・ニューブラックのソフィア!!)が「よく言った。手術に対する先入観のせいで、私たちは生身の人間に思われない。暴力のターゲットにされ、社会の中でも特に差別されてる。手術よりそういう話をしたい。」と続けました。
おふたりを始め、様々な分野で活躍されているトランスの方々は、自分の成功を求めることに加え、トランスコミュニティの価値や権利を底上げするために尽力される方が特に目立ちます。
それはつまり、人生の中で経験したくなかったような出来事に直面し続けてきたからなのではないか、と感じています。
そのことを特権を持つ人間が見て見ぬふりし続けることは、差別を黙認していることと変わりないのではないでしょうか。
見ているだけでも怒りに震えるくらい酷い差別が、今日もなされてしまっている現実が、残念ながら向き合うべき現実ですね。
当事者の声が小さくても、当たり前の権利が守られる社会にしたいといつも思っています。
でも正直言って、ラチがあかない人があまりにも多いと思います。
そしたら差別をNoとする、同じ方向を向ける仲間を増やしていくことから始めるのが最善かもしれないと私は考えます。
その為にこうして書いています。"スイミー"を思い浮かべながら。
また、映画の最後の方で、トランスの子どもに対して「奇跡の存在」と例えた父親の話が流れ、その映像を見たジェン・リチャーズ(女優・ライター)が、「(母親に認められなくても)平気でいなければ生きていけなかった。でもこれを見て突然悔しさが込み上げた。私を受け入れなかった家族や友達も、あの父親のようになれたはず。なぜ彼のように私の価値を認めないの?
でも私の価値を1番認めていないのは私。私が自分を見る目には、彼のような愛情と尊敬がこもっていない。誰もそんな目で見なかったから。
これからは自分の見る目を変えたい。」
様々な立場の人に、様々な事情がある。でも、トランスの方々を差別していい事情など本当はないんです。
絶対にない。
私には何が出来るのか、悩み続けています。特権を持ちながらも、とても無力であると感じてしまうから。
でも権利を訴えることなら、私にも出来ます。
まだどこかの団体に所属して活動をしているわけではありませんが、これからも自分には何が出来るのか探し続け、考え続けることをここにDisclosureします。
また何かアクションを起こす際は発信しますので、気にかけてくれたら嬉しいです。
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