「本当の私」を生きる31日間プログラム Day29:「嫌われること」
ここまでの28日間、ひたすら自分の内面に目を向けてきた。
そして自分の中にある軸についても言語化することで、「あぁこれが軸なのだな」と感じることができた。
そして今朝、ふと何かを見ていたときに
「自分の軸を知ったら、わたしのできることや力を持って、世の中や人に使っていく」
ということが、なぜか肚に落ちてきた気がした。
そんなことはこれまでに何度も目にしてきたし
「そりゃそうだよね、使ってこそナンボよね」と思っていた。
けれど腑に落ちてはいなかったのだろう。
昨年、友だちが
「ある神社に行ったときに、『神様、わたしを世の中のために使ってください』と自然と思えたんだよね」
と話すのを聞いて、思ったことを正直に言おう。
「え… そんなの怖い」だ。
わたしの想像を超えたことが来たらどうしよう。
なにかすごい修行のようなことが襲ってきたら怖い… などなど(笑)。
そんな風に思える友だちを羨ましいと感じる一方で、要するにわたしには覚悟がなかったのだ。
しかし、今朝すとーんと肚に落ちてきたことは
「わたしは自分のできることを世の中に放って、使っていこう(使ってもらおう)」ということだった。
ただただ自然とそう思った。
怖いことでもなんでもなく、
花がそこに咲いているように、雨が空から降るように、川が流れるように
ただやっていこう、と思ったのだ。
今まで内側に向けて対話をしてきたけれど、少しずつ外を向いてきているのかもしれない、と感じたのだった。
さて、そんな中今日のテーマはこちらだ。
『嫌われること』
今朝わたしは上記のようなことを感じて、「よおーし」となったけれど、ここで敢えての「嫌われること」。
いいねぇ~
ドキドキするけれど、いってみよう(笑)。
Day29:「嫌われること」
①あなたは人に嫌われることは怖いですか?(怖く無いというかたは④へ)
怖い…
嫌だな、嫌われるのは。
②怖いという方は、人に嫌われるとどうなると感じていますか?
「居場所がない」と感じる。
「あなたの場所はここではないんだよ」と言われるようで、いたたまれない。
誰もわたしの味方がいない中で、どう振る舞ったらいいか、どうやってその場にいたらいいかわからなくて怖い。
そして、過去に嫌われたと感じたときを思い出してみた。
大学生の頃、とあるサークルで疎外感を覚えた。
直接言われたわけではないけれど、今の言葉で言えば「なんかウザい」ということを、同級生の中で言ってたよというような話を聞いた。
決定的な何かがあったわけではない(と思う)。
けれどみんなが行く食事の場面に誘われなかったり(中には何とも思ってなくて、ただわたしがいないと思っているような友だちもいたようだったけど)、ほんのりとその「嫌われているだろう」ということはわたし自身にも感じられた。
そして感じられるような態度も取られていた。
そのとき、上級生は普通に接してくれていたし、同級生の中でもいつもと変わらず接してくれていた友だちもいた。
だから「一人になってしまった」という孤独感は、その時点でなかったはずだ。
ただ、「嫌い」というエネルギーを向けられ、「あなたはここにいてはいけない」と思われるのが怖かった。
誰かが感じる「嫌い」が伝播していき、そこにいるみんながわたしを「嫌い」と思って、最終的に誰一人として味方がいないということになるのが怖かった。
ある「点」から始まって、それが「面」になって、わたしだけが一人異質なものとして交われないということになるのが怖かった。
大人になるにつれ、「嫌い」ということは公にわかるようには態度に出さない場面が増えてきた。
そういう人たちと付き合ってきた。
それがいいか悪いかは別として、だからこそ明確に「嫌われている」と感じることはそれ以来あまりない。
ただ、昨日まで普通に話していたのに突然無視されたり、態度が180度変わる場面では「怖い!!!」となっていたな。
「嫌い」エネルギーに、自分自身消耗していくこと。
それが多くの人に伝わってしまうこと、が怖かった。
③嫌われたとしたらほんとうにほんとうにほんとうーにそうなるんでしょうか?
わたしの味方が誰もいない、ということにはならない。
そう、ならなかったのだ。過去にも。
大学生の頃も、実際にはそんなことにはならなかった。
むしろその状況で、今も会えるような友だちができたし、なによりそれがきっかけで本当に大切な人と出会うことができた。
わたしのイメージ中で「怖い」が拡がっていただけだったのだ。
④嫌われることで逆に得られるものはなんでしょうか?
自分が大切にしたいものが明確になる。
自分の軸がよりはっきりする。
余計なものが削ぎ落される。
それでも「嫌われて」まで、それを得たいとは思わず(笑)。
もし期せずして「嫌われて」しまったら、そういう一面もあるということで進んでいきたい。
だって、嫌われたと感じたときの落ち込みは、今も覚えているくらいものすごいものだったから。
(と言っても、最近はそういった付き合いがないので、もし今大学生の頃のようなことが起きたら、全く違う対応をするとも思われる)
⑤得られることにフォーカスしてみると「嫌われる」ことに対する感情の変化はありますか?
あえて「嫌われる」ことを狙ってはいかないけれど、自分の好きなようにやった結果「嫌われた」としても、それはそれで得るものもあるだろうなということはわかる。
「嫌われるかも」ということで、自分を出していかないのはちょっと残念だし、もったいない。
随分といろんなことを経験してきて、わたし自身「嫌い」だけで片づけないようになってきた気がする。
もし「なんとなく合わないな」と感じたら、スルーするとか近づかないとか。それでも付き合う必要があったら、わたしがそう感じるということの根っこには何があるか?を考えるようになってきた。
すると不思議と「嫌い」と思われることも減ってきたような”気がする”。
嫌われることはイヤだ(笑)。
もしそうなっても大丈夫とも思わないけれど、以前よりわたしは自分のことを信じられるようになったし、周りの人のことも信じられるようになった。
だから、「そうだよね」と受けとめるまでの時間もきっと短くなっていることと思って、やっていこうと思う。
ま、「嫌い」エネルギーを向けられたら、基本スルーしていこうと思うけど(笑)。
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このプログラムを主催しているYumiちゃんのDay29の記事はこちら。
一緒にプログラムを進めているEmikoさんのDay29の記事はこちら。
読む比べてみると、より多くの視点があることがわかったり、普遍的なものが感じられたりして面白い。
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