よかった探しが嫌だったころ
ずっと「少女パレアナ」(アニメで有名なポリアンナのことです)に対して、はーーん?って思ってた。
よかった探しってなにさ。
しんどいときに、そんなに簡単に探せるか!
何だかんだ言っても、結局こじつけちゃうん?
って。
しかし一方で
「いや、でもなんか良さそうな臭いもある」と微かに感じてもいた。
認めたくなかったけど。
ことあるごとに「よかった探し」のことが浮かんでくる年月を過ごし、
こんなに拘っているのは何かあるんだろうな…とうっすら感じていたのだが、先日「これか!私が素直に受け取れない理由は!」というのがわかった。
わたしは「よかった探し」の前に、
「そこにあるわたしの気持ち」を受け止めて欲しかったんだー!って。
うんうん、そう感じたんだね。
不安だったよね。
怖かったよね。
よかった!って思えない自分いけないって思っちゃったよね。
って。
この、受け止めた感があれば、よかった探しもやぶさかではない。
というか、そこにある気持ちが満たされているので勝手に探しだすだろう。
そんなことをつらつら考えていたら、思い出したことがあった。
幼い頃、わたしは欲しいものがあっても買ってもらえないことがあった。
欲しい!と訴えても、ダメだと言われる。
わたしも懲りずに「欲しい欲しい」と親に言い続けるんだけど、どこかで諦めの気持ちも入ってきて、最終的には諦めたことが何回かあった。
そして、少し後に
「そんなに欲しいならいいよ、買ってあげるよ」と言われることが、これまた何回かあったのだ。
これ、「わーい!」って喜ぶところかもしれないけれど、わたしは違った。
(弟たちは同じ状況で喜んでいた)
当時のわたしの気持ちはこう。
はあ?今さら?
すごく頑張って諦めたんだよ!
そしてもう仕方ないと思った。そこまで気持ちを持って行ったんだよ。
その持って行った気持ちはどうなるのさ!
と。
書いてて笑える。
けれど、これが一番の思いだった。
あんなに諦めようとしたわたしの気持ちはどうなるのさ?
これだったんだ。一番大きな思いは。
今親であるわたしが、子供にこの態度をされたら
「めんどくせー」って思う。
けど、あの頃はこんなだった。
「そっか。欲しかったのにダメだと言われたから諦めたんだね。いろいろ考えたんだね。そっかそっか。でもわたしたちもあなたがあんなに欲しいというならものすごく欲しいんだろうなと思って、考えを改めたの。そして買っていいよとなったの。お互い考えを改めたよね」
と親に言われたら、まあ収まらない気持ちはありつつも買ってもらっただろう(笑)。
そして、そのとき諦めたのちに買ってもらったものはそこまで欲しかったものじゃないということもあった。
今思い返すと、だけど。
きっと本当に本当に欲しいものだったらば、どうやっても諦めきれなかったのだろうと思う。
欲しい気持ちを、買うということで受け止めてほしかったんだろう。
だって覚えてるのは、結局買ってもらったものではなく、そのときのモヤモヤした気持ちだけなのだ。
めんどくさいなー(笑)
でも今、こうやってネタになってるから、いっか。
そしてもうこういう想いは自分で受け止めることができるようになった。
だからもういいんだな。
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