自分の中にあるダークな気持ちを捉えやすくなった
毎日毎日noteに自分の感じたままを書き綴っていた8月が終わり、わたしはテーマに沿って自分のことを見つめ、外に出すということを定期的にしなくなってから半月余りが経った。
最初は、「あぁ今日も書くということはしなくてもいいんだ」という寂しさがあった。
一方で、何か一言でもnoteに残しておきたいという気持ちはずっと続いている。
せっかく続けていたのだから、というもったいないような気持ち。
自分の感じたことをそのまま出すことへの抵抗感が減ったこと。
noteで知り合った方たちとのやり取り。
それらがあるから、今も続けている。
さらに心の奥の奥には
「なにかを書いておかなければ、表現することのなにか小さな一片を掴んだような感覚が抜けてしまいそうだから」
という焦りにも似た気持ちがある。
* * *
8月のプログラムを通じて、わたしは自分の中にあるダークな気持ちを捉えることが前よりも早くなった。
そしてそれを感じることを以前ほど嫌ではなくなった。
「自分の中にこんな醜い気持ちがあった」
「自分の中に嫌になる気持ちがあった」
そんなことを感じ、捉えるたびに「あぁ、あったんだ」と思い、そして気づいたことにある種の爽快感さえ覚える。
気づくことは、偉大だ、
とさえ思う。
気づいてしまえばそれは自分の中で光が当たり、自分の中で白日の下に晒させる。
人から隠すことはできても、自分の中でなかったことにはできない。
一旦認識してしまえば、あとはそれをどうしたいか?の次のステップに進める。
そうだ、次のステップを考えられることはしあわせなことなのだ。
そんなことを考えながら、今日もまた「思ったことをうまく言葉にできないもどかしさ」と「何かを残しておきたい気持ち」を抱えてnoteを書くのだ。