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この言葉を使うのは怖いのだけれど
自分のやりたいこと。
自分がどうしてもやってしまうこと。
なぜだか心惹かれること。
何度も何度もこの問いは私に向かってきたけれど、なんだかよくわからないままだった。
なんとか言葉にしてみるけれど、しっくりこないことが多かった。
そしてそのとき興味あることをやったり、やめたりしていた。
そんな時期を何年も過ごし、昨年末からなぜか湧いて湧いて出てくるものの存在を無視できなくなってきた。
それは
「その人の存在を、言葉と文章、そして時に色で祝福する」ことだった。
新しく気づいたように書いたけれども、実はずっとやってきていたことだ。
インタビューライティングをしていたし、その人の本質を色で伝えることもしていた。
そして何より、その人のよさを、特長を、素晴らしいところを、ことあるごとに伝え続けてきたのだ。セッションという形だったり、普段の会話で。
そのときに私の喜びも確かにあったはずなのに、自身の土台となる部分が脆すぎて私は自信がないまま、もっと言ったら「私なんかがこんなことをしていて誰も喜ばないのではないか」という想いを抱えていたのだ。
さらには、そういったことをするのであれば自らがしっかりと自分を持ち、まずは自分自身を祝福しきってないことにはやってはいけない!と思い込んでいた。
でも昨年秋から受けているコーチングセッションで、毎日自分の気持ちをそのままに表現するオンラインサロンで、続けて2年となる瞑想を通して、段々と自分の想いは溢れてきて、その想いをとめることができなくなってきた。
私は
「その人の存在そのものを褒め称えたい」のだった。
言葉を使って。
私も誰かを祝福しながら、同時に自分自身を褒めることを続けていく。
自分で自分を否定してしまうこともあるけれども、こうなりたい、こういう風に生きたい、こういうことをしたい自分を光にしてそこに向かいながら、自分のやりたいことも必要とする人に対して伝えていく。
自分自身が悩み苦しみを感じたことだから、言葉にならない部分を言葉にし、その人の存在を奥深くに届く想いで祝福していく。
しっくりきた。
やり方を変えたりするかもしれないけれど、「ここ」が私のいるところなんだと感じる。
この言葉を使うのは怖いのだけれども、なんだかこれが私の「使命」のような気がする。