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人とのつながりから生まれるぬくもり  写真家・公文健太郎

 公文健太郎は、ライフワークとして日本の「食と風土」を撮り続けている。いわゆる風光明媚な場所より、人と自然が相互作用して出来上がった風景、農村や漁村といった日本の原風景に魅力を感じたという。その写真には、人のぬくもりが感じられてあったかい。

日本の農業や漁業に目を向けるきっかけ
 写真を始めたころは、遠くへ行くほど知らない土地、出会ったことのない人に会える、それが写真でやりたいことだと思っていました。ネパールを皮切りにブラジルやアフリカなどに出かけていましたよ。
 東日本大震災が起こった時は、ブラジルのコパカバーナのビーチでビキニのおばあちゃんたちを撮っていた時期で、日本が凄いことになっているとニュースで知りました。
 帰国してすぐ、『新潮45』の依頼でライターと組んで被災地に車で向かい、グラビア記事に組んでもらいましたが、自分としては、思った以上に撮れなかった。今までのような腑に落ちた仕事ができなかったのです。その時考えたのは、あまりに破壊されつくされていて、ここに何があったのか、何が流されたのか、失ったものが見えなかったということ。自分は日本を知らないなと思い知りました。そして、生まれた国を知らないで遠くの国に行くことに、ちぐはぐな思いを感じました。
 この取材の折、なるべくたくさん被災地を周りたいので海沿いの道を走りたかったのですが、道路が寸断されていて、沿岸と内陸とを行ったり来たりしながら進みました。その途中に遠野がありました。海側は、それはひどい状況でしたが、内陸側は、もちろん大変な地震だったけれど、風景的にはあまり変わらなかった。そこには農村風景が広がっていて、今でも思い出しますが、川がきらきらしていて、とてもきれいだったのです。「美しい、こういう場所を撮りたい」と思いました。それがきっかけで、「日本に何があるのか、何が美しいかを知ること」が自分の旅の大事なことだと考えるようになりました。

撮影の声掛け、仲良くなるには
 撮影についてですが、まず、写真をよい感じに撮られて嫌な気持ちになる人はいないと僕は信じています。
 心がけているのは、遠慮をしないこと。自分の知りたいこと、聞きたいこと、そして、僕は食べるのが好きだから食べたいものを遠慮しないで口にすることですね。
例えば、道で出会って、「ここに何を植えているのですか」と訊ねて、「あずき」と聞くと、「おばちゃんの作るあんこやったら、おいしいやろねぇ」にプラスして「食いてぇなぁ」まで言うんです。すると、「うちに冷凍したのがあるから」と家に連れていって食べさせてくれるんです。
 もう一つは質問するということです。どこに行っても、知っていることも知らないことも聞くことを大事にしています。「このコメの品種はなんですか」。まあ、僕にとってはどうでもいいことですが、農家さんにとっては、そこはこだわりのところで「コシヒカリだよ」と教えてくれる。そこがコミュニケーションのスタートなわけです。
 また、取材後でも、家でも食べたいからと自宅に野菜を送ってもらったり、家族で遊びに行ったりしています。僕のほうでも、コロナの時や地震があった時などに農家のおばちゃんに「どうしている、大丈夫?」と電話をかけています。

撮影スタイル
 僕、農家を撮っているとき、ドロドロなんですよ。農業ってだいたい下を向いて作業するんです。だから作物と顔を見せようと思ったら、ローアングルになるしかない。地面に寝ていることが多くて。レンコンなんかはドロの中で仕事するのですが、僕も首までドロに浸かってカメラを構えています。
『耕す人』の中には畑仕事のあとのお風呂写真もありますが、お父さんに「風呂まで撮るんかい」と言われましたよ。でもそれは拒絶ではなく、「お前、変なやつだな」とかわいがってくれているということですかね。写真を一日、畑のなかで一所懸命撮っているのを見ているから、そのままの流れで暮らしも撮らせてくれたのではないかなと思っています。
 大事にしていることは、通りすがりの出会いがしらに直観的に切り取るのではなく、人と話をして中に入っていって、ワンクッションおいて納得してから撮るということかな。僕がいること自体忘れてもらうよう努めています。人は風景の一部だと思っているので、中に入ってから、そこから引いていって、最終的には日本の風景を撮っているのだと思います。

写真と言葉について
 写真集に載せるか載せないかは別として、常にエピソードを短い文章で書いておくよう心掛けています。写真を撮る時って、今、目の前にあることしか見てないじゃないですか。言葉にすることによって、自分がなぜそれに魅かれているか見えてくることがあります。
たとえば、昔、こういう風景を見たから、今、ここに立っていて感動して写真を撮っているとか。そういうことを考えられるのは、文章に書きとめているからではないかな。人に伝えるために書くというより、むしろ文章によって、自分が何のためにその光景を向きあっているか気づくために書くようにしています。

 「文は人なり」というが、写真もまた然り。私は公文の写真に人肌のぬくもりを感じる。話をしたり一緒にご飯を食べたりして時を共に過ごし、お互いに心を通わせる。つながりを大切にする公文だからこそできる、被写体である農家さんたちとの共同作業。よそ者には撮れない世界がある。写真から滲み出るあったかさの土壌はここにあるのではないだろうか。

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