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母の生きてきた道は、私の生きる道しるべ
母の日なので、実家に電話した。いつもは10コールくらいでようやく電話に出るのに、3コール目で母が電話に出たので、驚いてしまった。
うちの母はなかなかユニークな人なのだけど、子供からプレゼントされるのを嫌う。くれるなら、消え物(食べ物や花)で、と何度も念押しされてきた。最近では、消え物もいらないから、電話をしてくれ、と。なので、母の日のプレゼントは電話。電話、いつもしてるけどね……。
でも、電話の向こうの母の声が弾んでいたので、喜んでくれたのなら、よかった。
*
最初は遠慮してるのかと思ったのだ。母は強気なところもあるけど、自分が子供の負担になることをとても嫌う人だから。
でも、「形のあるものをもらって、それを自分が気に入らなくても、捨てられないでしょ?あと、私が死んだら、みんな処分に困るじゃないの。」というのが母の主張。
これに、「なるほど、わかる」と私が納得するのは、親子ゆえだろうか?気がつけば、私も子供に同じことを言っている。私はもともとドライな人間なので、母の言うことに共感を覚えるくらいだ。
そんな母は、今年80歳になる。25歳くらいで自分のお店を開き、そこから自営業者として40年間働いた。この年代の女性にしてはめずらしい?キャリアウーマンだ。
しかも、姑と同居で、超・亭主関白の父に従い、なおかつ仕事もしていたのだから、私からすると、とんでもないスーパーウーマン。しかも、母の生涯年収は父を上回るのだ……。ちなみに父は40歳までサラリーマンだった。
なのに、よ。父はよく言っていた。「嫁に仕事をさせてやるのも、オレの甲斐性があるからだ」と。当時は何も思わなかったけど、今の私からしたら考えられない! そんなことを夫が言おうもんなら、私は本気で怒り狂うだろう。
しかし、母は違う。何も言わなかったし、それどころか、朝食を準備したら父の靴を磨き、父の車を磨いていたのだ。どちらもピカピカに。これを毎日・毎朝よ?
そして、父の車が見えなくなるまで、毎朝見送っていた。それから母は家事をして、朝食を食べ、大急ぎで店を開けていた。だけど、母の方が収入は多いのだ。
おそらく、母の年代の女性たちは、こんな感じで生きて来られたのだと私は思っている。男尊女卑が当然だった時代に、ひたすら家や夫に従いながら、自分のことを後回しにして、生きて来られたのだ。
しかし、それでも情熱や希望を持ち続け、闘ってくれた女性がいた。だから、今の時代がある。そうやって、夫や家、社会と闘いながら、必死に道をつないでくれた各時代の女性たちがいて、そうやってつながれてきた道があるから、私もその一端で生きることができているのだ。
母は、他の人同様に、たくさんの困難を乗り越えてきた人だ。その時々の姿を私は明確に覚えている。私は自分が壁にぶつかるたび、母の姿を思い出し、参考にしながら進んできた。
いわば、母の生きてきた道は、私にとって、生きる道しるべなのだ。そして今、老いるとはどういうことかを、まざまざと見せてもらっている。
私には娘がいるけれど、娘も私の生き方を参考にするのだろうか? なんだかオソロシイ感じがするが、少しでも娘の参考になれば、私が生まれた意味があるというものだ。
たぶん、そうやって道はつながれていくのだな。日本を支えて来てくださったすべての女性に、心から感謝の気持ちを捧げます。