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「父親ってどんな顔をすればいいのか」と父が尋ねた話

両親の結婚記念日が今月だったので、お祝いランチに行った。「56年だったかなぁ」「ほんと、すごいよね」そんな話をしていたら、母が急に言うのだ。

「そう言えば、アンタが生まれた時、お父さんはアンタの寝顔を見ながら、真剣な顔で私に聞いたんよ。”父親ってどんな顔をすればいいんだ?父親って、何をすればいいんだ?”って」

衝撃だった。ええっ…と私はつぶやいて、そのあと言葉が続かなかった。

私の父は、自分の父親を知らない。祖母が父を妊娠したと知った時、祖父はすでに出征していたのだ。そのまま帰らぬ人になったので、祖父は自分に子どもがいるのを知らないまま、旅立ってしまった。

父にとって、父親とは「遺影の人」。白黒の遺影には、父そっくりの男性が映っている。

でも、父は知らない。自分の父親の身長がどれくらいだったのか、どんな手をしていたのか、どんな声だったのか、どんな笑い声だったのか、髪の色、肌の色…すべて知らないまま。祖母は言葉を尽くして説明してくれたそうだけど、イメージすらつかめなかったそうだ。

そして、時は過ぎ、父は母と出会って、私が生まれたから、父親をやることになった。父親とは何かを知らないのに、イメージすらできないのに、父親という存在を感じたことすらないのに、父親をやる。

理詰め人間で完全な実務型の父にとっては、なかなかの試練だったと思う。

子育ては、理屈だけでできるほど単純ではない。加えて、今よりもずっと情報のない時代。「父親になるための情報」なんて、なかったに等しいだろう。

だからすべて手探りだっただろうし、直感とか創造するとかが苦手な人だから、おそらく父は相当な葛藤と戸惑いがあったのではないか。

母のしてくれたこの話、父が「父親になる自分」に葛藤していた話は、もっと早く知りたかったと切実に思う。そしたらいろんなことをショートカットできたと思うから。

でも、知ることができてよかった、とも思う。私は長く人生を生きている部類に入ってきたが、長く生きていると、過去の答え合わせをするような瞬間がたびたびやって来てくれる。この父の話も、答え合わせのようなもの。

答え合わせのたびに、私は勘違いと思い込みに気づくわけだけど、同時に思うのだ。

今日まで生き続けてきてよかった、と。




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