
世の中は、これでできている
このブログは、なんとなく日曜日更新になっている。意図したわけではないのだが、日曜日更新するのが楽だし、明日から月曜日だから頭のスイッチ切替えもあって、日曜日更新が合ってるみたい。意外に続いているのが、その証拠。
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6月、我が家は激震の1か月だった。もう落ち着くと思いたい。5月の末、1か月もしないうちに、自分の家族がこれほど大きく変容するなんて、私は思いもしなかった。それくらい、変わったのだ。
家族の1人が転職することになり、家族の1人に新しい家族ができることになった。そして、あることをきっかけに、暴かれた大失態があり、それにはかなりのダメージを受けた。失ったものは大きかった。そのうえ、私の元の家族(両親と兄弟)がモメに揉めて、思わぬ形でそれが表面化。
6月、まだ5日あるけど…もう何も起こらないよね? もういい、お腹いっぱい!
で、私はそのどれもに対して、火消し役を担わなければならなかった。火消し役にならないといけないことが3つ以上重なると、もう何かを感じることを止めてしまうよね。めんどくさい、知らんがな…が本音だ。
と、かっこつけつつ、私はほとほと困ったのだ。なぜなら、私は職場のことなら一歩引いて、冷静に対処できることが多い。でも、家族となるとねぇ。
元来、私はストレートなコミュニケーションを好む。基本的に人と人とは分かり合えない。だから、言葉を交わす必要がある。そんな風な価値観を持っているから、「察する文化」とか、めちゃくちゃ嫌い。まどろっこしい言い方は止めて、ストレートに自分の欲求や要望、意見を出そうよ、と思っている。(できているかは別にして)
だが、特に私の元の家族、両親や兄弟はそうではない。遠まわしに言うのがスタンダードで、ストレートな言葉は「キツイ」と受け取るのだ。
これはどっちがよい、悪いの話ではない。好みの話。思考癖の話。個人の価値観の話。コミュニケーションスタイルの話。つまり、ただの個人差。でも、この違いが、すれ違いにつながるよねぇ。
ちょっと話がそれたのだけど、私はそういうタイプなので、家族の中で火消し役になると、どうしても「正論」ばかりをぶつけてしまうのだ。自分では意識していないし、そんなつもりはないのだけど、夫や子供に言わせると、まちがいなくそうらしい。
で、決まって言われる。
正論は、相手の口封じをするだけで、何の解決にもつながらない。
って。
最初は「家族が私を否定する」みたいに捉えたのだけど。私が言葉を放ったら、みんな黙ってしまうことが多いのに気づいて、ようやく認める気になった。
自分が正論ばかり言っていること。それが相手の口封じになっていること。
これは、相手にも自分にもいい影響がないこと。
で、気づいたけど、だからと言って、すぐに変えられるものではない。そんなすぐ変わらない。
なので、思ったのだ。「苦手だから、他の誰かに助けてもらおう」って。そしたら、いろいろなことが上手くまわるようになった。
一人でがんばるのって、意味ないなと痛感した。私にできることなんて、たかが知れている。できないことを「できる」に変えるよう努力はしないといけないかもだけど、人間関係のような複雑なことは、無理する必要はない。これからも、どんどん人に頼ろうじゃないか。
そう思えるようになったので、6月のアレコレは、しんどいと思いつつも、私の中で笑い話になりつつある。
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そして、一連のことを経験し、まだまだ解決していないことも含め、私は思った。
世の中は、「筋の通らないこと」でできている。と。つまり、それが正攻法とは知っているけど、「それができたらモメないんだよねぇ」っていうことばかりで、できている。
知識としては知っていたけど、腑に落ちた今月。
でも、もういいので、お腹いっぱいなので、来月はどうか平穏でありますように(願)。