過去の記憶


ふと

こどもたちの写真を
見ていて

急に込み上げてきた感情があった

わたしが言うなれば
いいなり状態の時にも

こどもたちは
笑ってくれたり

笑顔を見せてくれたり

感情を見せてくれていた。

どんな時も全力だった。

わたしは
あの時、自分じゃない意志を
選んで生きていた

一緒に相談して
一緒に考えてわたしたちのことを
心から尊重してくれる人

と共にいられればよかった

そんな人がいてくれたらよかった

そういう人は
みんないないものなのかな?

わたしは、父も、母も
結婚していた時もそういった経験がない

何かを一緒に乗り越えるとか
成し遂げるとか

そういった経験がなかったな。

今、少しずつ
子どもたちとやってる?のかな。

何かに悩んだ時
一緒に考えてくれたり
アイディアをくれたり

わたしとは違う視点から
ポンと答えを言って
導いてくれるような人が

身近に欲しかった

特に夫婦間においては

子育てについて
そう言ったことをやりたかった

けど、できなかった

わたしの意見が優先されることが
多かった。

わたしは話し合ったり
お互いの意見を話して
間をとるとか

そういうことをやりたかったんだろうな。

家族でも
やりたかったんだ。

みんな意見が、違うのは
当たり前だから

みんなの真ん中をとか
調和を考えて

一緒に暮らしていたかったんだ。

誰か一人だけが我慢するとかじゃなくて

我慢するなら
みんながだいたい同じとか

まんべんなく、

平等に

人それぞれ感じ方も違うけど

ちゃんと意見聞いて話し合って
居心地のよい
チームを作りたかったんだろうな。

順番こにしたかったんだよ。

みんな、同じように。

誰か一人が苦しいのはつらいから。

それならみんなで、分け合いたかった。

それならみんなで苦しくない方法を
考えたかった。

みんなで考えたら、
ひとりじゃないから、大丈夫って
思えたかもしれない。

孤独を感じなくて済んだかもしれない。

一緒に考えてくれる人や
例え一時的にでも
支えてくれる人がいたほうが

やっぱり心は救われるし
少しだけでも、希望の光になるんじゃないかな

とも思う。

あの時にも戻れないし
ほかに幸せになる道も
もちろんあったかもしれない。

でも、どれだけ時間を
巻き戻したいと思っても
現実は前に進んでいくだけ。

時空を越えて意識は癒せても
戻って体験をやり直すことはできない。

だから
あの時のわたしを
少しずつ癒して行くしかない。

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