「事物起源」を探るということ――創刊のことば【事物起源探究創刊号】
※松永英明個人誌『事物起源探究 創刊号』(2010年5月)より。
はじめまして。「文士・事物起源探究家」を肩書きとしております、本誌制作者の松永英明です。
事物起源とは、文字どおりには「モノや風習などの起源」のことを指します。これ(あるいはこのしきたり)は、いつごろ、どのように、どんな人が、どんな理由で始めたのか、ということの事実関係をじっくりと探ること。それが狭義の事物起源探究ということになります。
今、「狭義の」という言葉を使いました。それは理由があります。というのも、一般的に流布されている起源説を徹底的に調べてみますと、実はそれは事実ではないということが多々発見されるのです。いや、通説のほとんが事実相違する、小なくとも「厳密にいえばそうじゃない」ことが大多数だといっても過言ではないほどです。
長い説明を端折って短くするときに正確じゃなくなるパターン。これはまだ仕方のない相違といっていいでしょう。短い表現を受け取る側が誤解し、その誤解が広まることもあります。
一方、まったく事実と合わない「伝説」が作り出され、それがいつのまにか定説として広まってしまっている場合もあります。その伝説は、最初は「創作」として作られていたのにいつの間にか「事実」と受け止められるようになったものであったり、あるいは悪質な場合はその起源を偽装するために意図的に作り出されたものであったりもします。こういう伝説は「……とも言われている」「……という説もある」という形で引用され続けるうちに、いつしか権威的な「説」として定着していく例が多々見られます。
問題はこの「伝説」パターンの起源説が見つかってしまったときです。いや、事物起源探究という作業をしていると否が応でもこのパターンの起源説とぶつからねばなりません。
そこでどう対応するのか。もちろん、「この起源説は誤りで、事実はこうである」ということを淡々と証拠に基づいて説明するのが第一歩です。しかし、「事物起源探究」ではもう一歩踏み込んでみたいと考えています。では、なぜそういう虚偽の起源説が作られたのか。そして、どうして事実ではなく虚偽の起源説が採用され、広まっていったのか。なぜ人々はその虚偽・伝説を真実のものとして受け入れるようになっていったのか。そこまで追究するのがわたしの「事物起源探究」のポリシーなのです。
ものごとの起源についてどのように伝えられているか、そして事実はどうなのか、ということは、主に民俗学と歴史学の分野に該当するでしょう(自然科学の分野としては「技術史」などのジャンルが当てはまると思われます)。一方、真実ではない起源説が存在したとして、その説がどうして生まれ、どうして受け入れられ、どうして広まっていったかということについては、歴史学や民俗学に加え、社会学や社会心理学といったジャンルが大きく関わってくると思われます。単に「通説は間違っている!」と指摘するだけではなく、なぜそういう誤解・伝説が受け入れられていったのかを解明すること。そこにまで踏み込んでようやく「事物起源」を探ることの意義が生まれてくると思います。
もちろん、すべては進行中。本誌でもまだ事実関係の確認の段階にとどまっているものもあります。
ところで、今述べたことは、それなりの起源説が唱えられている場合です。厄介なのは、起についてい意識が向けられることがなく、それでいてたとえば「日本古来の伝統」であるかのように受け取られているものが意外と多いということです。
何となく古いものだと思っていたら、実は歴史が浅かった……。単にそれだけのことであれば害はないのですが、実際には「日本古来の伝統を守ろう」として言われる物事の多くが実は明治以後の「近代日本」で生み出されたものでしかないという場合が多いのです。この場合、いわば「たかだか百五十年の歴史」でしかないものを「古来の伝統」として固定化しようとする動きと結びつきがちで、これは事実と相違する上に、弊害さえももたらします。
事物起源探究は決して告発や指弾を目的としたものではありませんが、安易な権威付けのために誤った起源、偽装・偽造された起源が用いられることは不幸なことだと考えます
まずは、解釈を抜きにして事実関係を探ること。そして、もし事実でないことが事実として受け入れられているとしたら、その理由を探ること。それが事物起源探究の大前提です。
最後に一点。ものごとの起源を探ることは、決してその後の発展・変化・進化・退化を否定するものではありません。しかし、「本来はこうであったが、あえてこのように変えてみた」と明言するのと、変わったものをあたかも本来の姿であるかのように「偽装」するのは大きく違うことだと思います。
ものごとの起源を探ること。それは、ものごとの本質を探り続けようという知的態度につながるものです。あなたもちょっと立ち止まって、「これってどんなふうに始まったのかな?」と考えてみませんか?