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秋葉原のゲニウス・ロキ

「秋葉原のゲニウス・ロキ/松永英明(#co_article015)」は、プロジェクト「.review」に投稿され、2010年5月2日に公開された論考である。
ただし、現時点で論考本文のpdfが失われているため、Abstract(概要)のみの再録とする。
※もし論考本文pdfをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ページ最下部の「クリエイターへのお問い合わせ」からご連絡ください。

Abstract

中村雄二郎によれば「ゲニウス・ロキは、それぞれの土地がもっている固有の雰囲気であり、歴史を背景にそれぞれの場所がもっている様相である」と定義される。2008年、加藤智大はなぜ秋葉原を凶行の舞台に選んだのか。それは秋葉原のゲニウス・ロキに惹かれたからではないだろうか。まずは「秋葉原」の範囲を定義する。それはかつて、下谷・湯島から続く低地であり、江戸時代に入ってからは神田山の下の外神田としての歴史を刻み始める。明治に入って火除け地と鎮火社(秋葉原の地名の由来)が生まれ、見せ物・興業も行なわれた。講武所芸者の存在は、現在のメイドが溢れる街としての秋葉原につながるようである。そして貨物駅・神田市場の登場によって物資の集積地の性質を持つようになる。戦後は学生街に近かったことからラジオ製作の内職の材料を提供する電気街として生まれ変わり、それがやがてパソコンの街、オタクの街、萌えの街として変貌していく。この最後の段階については森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』に詳しいが、その前後の歴史を補完し、秋葉原のゲニウス・ロキの正体を探る。



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