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まぼろしの五色不動 解題/ごあいさつ

解題

松永英明著「まぼろしの五色不動 ~大江戸《霊的都市計画》伝説の真相をさぐる~」は、「マチともの語り」というサイトで2005年2月~2007年9月に連載されていた作品である。

この作品では、緻密な歴史的検証により、「江戸五色不動」は江戸時代には存在せず、そのすべてが出そろったのは明治末以降であることを明らかにした。この研究成果により、それまで無批判に語られていた五色不動は近年の創作であることが事実として受け入れられるようになっていた。

しかし、その後、「マチともの語り」サイト自体が閉鎖となり、このコンテンツもネット上から消滅してしまっていた。

このたび、機会を得てこの作品を復刻できることとなった。これは情報空間における有意義な貢献となるだろう。(ことのは資産管理室)

ごあいさつ

2005年2月25日 松永英明(*連載開始時のあいさつである)

 生粋の関西人だった自分が東京にやってきてから10年になりますが、未だに東京人にはなりきれず、東京寄留者のような意識があります。
 今回お届けするストーリーは、東京に来て間もなく調べ始めた「五色不動」についての考察です。以前から調査はかなり進んでおり、何らかの形で公開したいと考えていましたが、売れるネタではないために出版にも至らず、そっと温め続けてきました。
 今回、MAOさんとのご縁でこうして「マチともの語り」において公開させていただけることとなりました。事実関係はほぼ調べ終わっているのですが、改めて五色不動を巡って写真を撮り直してみるつもり。

 五色不動の由来についての疑問と詳細な歴史の探究、五色不動のあるマチの風景を通して、江戸の周縁のマチを描き出せればと思っています。

はじめに

2005年2月26日

 江戸・東京には、大変な仕掛けが仕組まれている。

 こんな話がメジャーになったのは、やはり「風水先生」こと荒俣宏氏の『帝都物語』あたりからではなかっただろうか。あの映画が話題になったころ、私は生粋の関西人で「やっぱり東京はこわいところだ」と思ったものである。何しろ、風水だの陰陽道だのといった話題の行き着く先は将門の怨霊に将門の首塚。もっとありていに言えば「昔の武将の生首のたたり」である。それを江戸の守り神にしたり、封じ込めたりするのだから、大変な話である。

 これが京都や奈良であれば、「四神相応の絶好の場所」という一言でだいたい済んでしまうわけで、わかりやすい。ところが、大江戸・東京の神秘的都市計画は一癖も二癖もあるのである。最初からあまりいい土地ではなかった江戸を世界的首都にするために、徳川家康は天海などという怪しげなお坊さんを使って、いろいろな仕掛けをしたらしい。表鬼門の上野寛永寺、裏鬼門の増上寺は有名なところだが、そのほかにもさまざまな寺社の配置を巧みに操作して、大江戸の「霊的防御」を固めたというのである。

 中でも、江戸の町が螺旋形に配置されているというのは、私にとって最も耐えがたいことだった。京都や大阪の東西南北九十度の直線に慣れていると、東京の道は迷路にしか思えない。それもこれもみな、「霊的防御」のためなのか。実用性よりも霊的防御や怨霊調伏を重んじるなんて、よほど東京というところは魔物がうようよしているに違いない。こんな東京には、何があっても絶対に住まないぞ。

 私は本気でそう決心していたのである。もちろん、東京嫌いには、関西人特有の「東京がなんぼのもんや」意識が七割くらいだっただろうが、残り三割くらいは「魔都・東京」へのおそれだった。荒俣氏の本や、加門七海さんの『大江戸魔法陣』など、「大江戸神秘的都市計画」本の読み過ぎといってしまえばそれまでだが、私にとって東京は「禁断の地」だったのである。

 その私が、何の因果か、まさにその東京都民となってしまった。

 それからははっきり言って、天海や陰陽師が隣人である。仏手型の皇居防衛霊的ライン・山手線で仕事に向かい、古書街の隣には将門の神田明神があり……。もっとも、東京は思っていたほどの「魔都」ではなく、だんだん東京暮らしにも慣れてきた。住めば都というのはたしかに正しい(もっとも、東京は私が住まなくても都だが)。

 そんなある日のことだった。とある知人が私の耳にささやいた。
「東京に五色不動があるって知ってる?」

 なんでも、江戸を霊的防御するために、五色の不動を配置してあるというのである。目黒不動と目白不動は知っていたが、あと三色もあるとは知らなかった。たしかに、手もとの地図で確認してみても、目青不動や目黄不動、目赤不動が載っていた。小説にも取り上げられて、なかなか有名なものらしい。

 興味を持った私は、早速、手近な資料から調べてみることにした。ところが、どうも五色不動については深い追求がなされていない。つまり、五色不動がどういう配置になっているからこういう力を持っている、というような記述が見あたらないのである。理由がわからないのに、何となく「江戸を守るために五色不動がつくられた」という話を信じられるほど、私は素直ではない。せめて「北斗七星型に並べられた将門由緒の寺社」くらいの根拠はほしいのである。しかし、五色不動に限っては、その根拠がいくら探しても見あたらない。

 こうして私の五色不動徹底追及が始まった。わからないものを放っておくのは気持ちが悪い。しかもそれが、例の「魔都・東京の霊的防御」に関わっているとなれば、なおさらだ。とにかく、その正体を暴いてしまわないことには、夜も寝られなくなってしまう。

 そして、私はとんでもないことを発見してしまったのである。

 なんと江戸に「五色不動」は存在していなかったのだ。


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