復帰70チャレンジ その1「知ってるつもり」

今年は奄美群島の日本復帰70周年。
そんなの知ってるって?
ですよねー。
鹿児島県知事や奄美市長が挨拶するごとに必ず口にしてますから。

では
「復帰以前、終戦直後の奄美はどういう状態だったのか」
「行政分離はいつから始まったのか」
「何故、行政分離が起きたのか」
「具体的にどのような職務権能の分離があったのか」
「島民生活にはどのような影響があったのか」
「本州では日本国憲法が施行されたが奄美ではどうだったのか」
「行政分離と信託統治では何が違うのか」
「国旗国歌の扱いはどうだったのか」
などなど。
こうした当時についての細かな知識を自分のお子さん・お孫さんに説明出来る、または90代以上の高齢者に、当時の詳細について聞き取り確認出来るシマッチュは一体何人居るのでしょうか。

私個人で言うと、復帰50周年から興味を持ったので二十代後半から少しずつ知っていったのですが、その大半は専門書とネット上の関連論文から。周囲の大人に教えてもらうというのはほぼゼロでした。
名瀬の中心地育ちではないのも影響してたと思われます。
名瀬からかなり離れた集落育ちな母(1941年ギリ戦前生まれ)に聞いても当時は小学6年生。「B円を日本円に交換したら自分の貯金だけで中学の制服が買えた」という体験談と「集落でジャガイモとカボチャいっぱい作ってたね(後で意味が分かる)」くらいでした。

今なら理解出来るのですが、復帰前後の島の生活を経験してるはずの自分の周囲の大人(大正〜昭和一桁生まれ)に、大雑把に「当時どうだった」と訊ねても、そんなざっくりした質問では答える方も困るだけ。
そりゃ「何も物がなくて、食べるのに困った」という回答しか返ってきません。

質問するにしても予備知識が必要だし、その予備知識の中から焦点を絞った上で尋ねる必要がある。
じゃあその予備知識を知る機会は?というと残念ながら現在ほぼありません。
今年、初めて参加してる奄美市生涯学習講座「奄美復帰 70 周年を学ぶ」くらいでしょうか。
それでも月2回土曜の午前中にスケジュール合わせるのは、30〜50代には少々厳しいなと思います。
しかも奄美の復帰史は、群島内の政治・経済・教育・文化、全てに関連しているため、範囲がめっぽう広い。
学べば学ぶだけ「まだまだ知らない点あるわ…」と絶望するくらいです。
更に私がちまちまと知ったのはほぼ奄美大島本島内の動きのみ。
他の島々や島外の出身者の活動に関してはまだまだ無知。
ただでさえ人の名前覚えるのが苦手なのに何故、この苦行をやってるのか正直自分でもよく分からない。
分かっているのは「現在の昭和生まれ後期のように【シマを知る機会】を奪われる事が無いようにしたい」ということ。

島を離れて大人になってから「奄美?自然は豊かだけど、それ以外は島唄くらいで特に何も…」と、どうしようもなくネガティブに故郷を下げる言い方しか出来ず、自分の故郷を語れない人になって欲しくない。
昭和生まれの中高年には特に身に覚えがあるはずです。

でも奄美にも、これまで先人達が如何に物理的ハンデや自然の脅威と向き合いながら、それでもこの南の島々で生き抜いてきた歴史がある。
だからこそ今のシマッチュが島で生きていられる。
よくよく悪者扱いされる奄振法は奄美の日本復帰を機にスタートした。
その背景なんて、今や行政職員にすら知られていない。

背景知らないのに毎年、奄振法による国の特別予算はしっかり頂き、道路や港湾、燃料補助などの快適な社会インフラの恩恵を毎日毎日受けて当たり前のように暮らす我々シマッチュ。
普段は墓参りをはじめ「先人を大事に」という姿勢の割に、肝心の先人達の史実に対してたった70年前までの出来事ですら何の関心も示さず、次世代に繋げていこうともしない。
これはちょっと情けなさすぎる。

そんな訳で、今日から「復帰トリビア」の小石を投げていきます。
果たして70回続けられるかどうかは分かりませんが、とにかくやってみます。
復帰出来るかどうかなんて全く自信がなくても声を上げ続けたシマの先人達を見習って。

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