復帰70チャレンジ その8「行政分離期の初選挙」

12月25日の復帰記念日まであと63日。
投稿がギリギリなってしまったので今回は手短に。

奄美市議会は今月29日が投票日なので、週末までは日中何度も選挙カーの音声が聞こえてくる時期です。各候補者の健闘を祈ると共に、今よりももっと、復帰前後を含めた郷土史を今後のシマッチュの未来のために口先だけじゃなく活用する、積極性のある議員が増えてほしいと心から願っております。

さて、我々は選挙というと「誰を選ぶべきかちょっと面倒だな〜」「付き合いあるし、今回もこの人でいいや」と結構惰性で選択する向きがありますが
昭和21年2月2日に行政分離された奄美では、まず「選挙で有権者の代表を選ぶ」という基本的な事すら、ままならない状況でした。

一応米軍政府側も民主主義の使者たるお題目を忘れていなかったようで、7月の群島内の各自治体の市町村長議員選挙を前に、
昭和21年6月4日、選挙令(命令第4号)と、
集会・言論・出版・宗教・労働組合の自由令布告(命令第5号)が発令されます。

これを受けて、7月1日。現在の南海日日新聞の前身である南日本新聞大島版号外にはこう掲載されました。

「新人の出現を期待。今こそ『政治』を我々の手に」
「今までの政治家は一般市民の生活(くらし)から遊離してゐた。今こそ我々の手に政治を取戻さねばならない。/情実にとらはれず利害に迷はず正しい人を我々と共に苦しみ我々と共に楽しむ我々の代表者を選ぼうではないか」
「当日の弁士は左の二十二名であったが新人が圧倒的に多く旧陣営は大衆の前に所見を発表する勇気がないものの如く一般聴衆は感じたようである」

「全記録 分離期・軍政下時代の奄美復帰運動、文化運動」(間 弘志 著:南方新社)

>情実にとらはれず利害に迷はず正しい人を我々と共に苦しみ我々と共に楽しむ我々の代表者を選ぼうではないか

時代が変わっても、我々シマッチュが、議会において我々の代弁者を選ぶ際の基準は変わりません。

自分のため、家族や地域のため、次世代以降のシマの未来のため。
よくよく考えて、投票されることを願っております。

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