復帰70チャレンジ その3「歴史は繰り返す 〜行政分離正当化の根拠〜」
前回は「行政分離」がいつから始まったのかを書きました。
では「何故、奄美群島が沖縄県と共に分離されたのか?」をお子さんに訊ねられたら、大人はどう答えますか?
答:「米国側の勘違い」
ウソでしょ?と思いますよね。
私も最初知った時、「そんなくだらない事で、我々の曾祖父母・祖父母・父や母の世代は終戦後に復興出来ぬまま8年も窮状に追いやられたのか?」と驚きました。
個人の体験談語りが多い復帰関連本の中で、客観的資料として20年何度も読む本が2冊あります。
そのうちの1冊、「奄美返還と日米関係 〜戦後アメリカの奄美・沖縄占領とアジア戦略」(ロバート・D・エルドリッヂ著 南方新社刊)はなかなか分厚い本ではありますが、2003年まで奄美側からあまり調査していなかった「米国政府」「米軍」それぞれの資料を別個として丁寧に調査されているので、今でも充分参考資料として重宝しております。
何より、今でも古書でなく購入可能というのが大きなポイントです。
さて、この本の中でその「勘違い」がどのように描かれているかというと
(引用ここまで)
ボートン、何軽く言ってんだ!
と思いもしますが
気になるのは「二人の有名な日本人地理学者」
果たしてこの時にボートンが参考にした地理学者とは一体誰なのかも気になるところではありますが
この一件こそが、私が「奄美の郷土史をもっと重視すべき」と口を酸っぱくして言い続ける最大の理由でもあります。
この時、昭和19年までに奄美の歴史を編纂し、公表されたものがあれば、こんな結論=「奄美群島は琉球の一部」には絶対にならなかった。
「琉球による奄美統治期間は200年もない」「奄美と本州の往来は既に遣隋使・遣唐使の時代から判明している」という史実が知られていれば。
決して歴史の専門家ではない昇曙夢氏が、復帰前の昭和24年に東京から「大奄美史」を編纂・出版されたのも、そういった証明を行うためだったのではないかと思われます。
歴史にifは禁物ですが
もしもこの時に行政分離が起きなければ
奄美はもっと早く戦後復興を遂げ
沖縄の夜の街にしか仕事が無く、出稼ぎへ向かう若い女性達の仕送り頼みをするシマッチュの世帯を減らせたのではないのか?と考えてしまうのです。
シマの家族が生きるために黙々と夜の街で働き続けた彼女達の名誉回復も、後世の奄美に住む我々の義務ではないのかと。
翻って、令和5年。2023年の現在。
奄美も復帰し、小笠原も沖縄もその後に返還され「奄美は琉球の一部」などと宣うのは、一部の極端な思想家のみ。
と思っていたのですが、そうも思ってはいられないな、というポストを見かけました。
久々に甦りし「琉球は中国に属する」論。
まさかロシアがこれに乗っかるとは。
まあでも、そういう「被支配された地域の再独立を我々が支援するのだ」大義を掲げないことには正当化出来ないですし。
(戦時中に設けた大西洋憲章の弊害)
この論は「でも明はもう滅びてますよね」で即議論終了になるのですが、それでも「琉球諸島は中国のもの」とゴリ押しし続けるでしょうし、なんだったら「琉球が支配していた奄美群島も中国に帰属する」などと言い出されかねません。
それに対して我々が出来ることは、かつての先人達と同様に
「奄美群島は琉球ではない」
「琉球諸島は日本に帰属し、戦後に出来た新興国、中華人民共和国の領土などではない」
という姿勢を維持し、冷静に対応すること。
歴史から学ぶ、というのはそういう現代に通じる知識を身につける事も含まれています。