復帰70チャレンジ その2「忘れられがちな始まりの日」
クリスマスと一緒なので大体の人が覚えてる奄美群島の日本復帰記念日。
当時のアメリカ合衆国国務長官だったダレスは返還を発表した日に「クリスマスプレゼント」と言いましたが
(*´-`)…(半ば強制的に没収したものを返すだけなのに、クリスマスプレゼントとかよう言うたなぁ…)
という私の個人的感想はさておき
その「復帰前の始まりの日」っていつなのか、ちゃんと覚えてますか?
問い:「日本復帰」したのはいつ?
→昭和28年(1953)12月25日です。
問い:どこから復帰したのか?
→:アメリカ合衆国。
問い:日本復帰する前の奄美はどういう状態だったの?
→本州と分離されて人や物の往来が出来なくなりました。
自治体や警察の機能が制限されました。
日本円も途中から使用出来なくなりました。
国旗や国歌斉唱が出来なくなりました。
日本国憲法で保障されるようになった個人の権利も、奄美群島内では大きく制限を受けました。
問い:その状態を何というの?
→「行政分離。サンフランシスコ条約以降は信託統治です」
問い:では、その行政分離はいつ始まったの?
→昭和21年2月2日です。
ここまで答えられる人は、現在の奄美群島民でどれくらい居るのか。
特に小中学校の先生で、生徒に訊ねられてすぐ答えることが出来る先生が一体、何人居るのでしょうか。
「復帰」というのはある意味「ゴール」です。
今のシマッチュは「ゴール」は毎年祝うものの、その課題が始まった「スタート」地点である、昭和21年2月2日(ゾロ目で覚えやすいのに)は殆ど啓発しない。
興味がないから思い出せない、知ろうとしない、知らないから教えられない。
何よりも
「今更自分が復帰についてよく知らない、という事を生徒や子や孫に知られるのが恥ずかしい」
それが数十年続いた結果、現在の「とにかく◯周年という数字だけ言ってりゃいい」の状態になってしまいました。
ちなみに今年の2月2日はたまたま市政報告会がありましたので、その場にいた市議会議員さん達に質問したのですが
5名とも「2月2日は何の日ですか?」の質問に答えられませんでした。
選挙で選ばれて行政を職務とする人達が、戦後の自分達の行政史の大きな転換点を覚えていない。
流石にこれは衝撃でしたし、奄美市民の無関心さを表してるなと改めて思いました。
でも、本当に、自分達の郷土史を、そんな有耶無耶にする姿勢のままで良いんでしょうか?
今の子供達が、かつてのシマッチュの奮闘した史実について知る機会を「与えない」
そんな権利、今のシマッチュの大人にあるんでしょうか?
少なくとも、私は大人になってからずっと
「どうして小中学時代に、もっと島の歴史を教えてくれなかったのか」と嘆いています。
地方の歴史とはいえ、奄美の歴史は世界史やアジア史、薩摩や琉球の歴史と密接につながっており、そうした身近なつながりから入るほうが、好奇心を持って受験向けの歴史の知識も頭に入りやすい。
更に奄美の観光に携わる場合、ストーリー性を持たせる事が出来るなどのコンテンツ力強化も出来る。
にもかかわらず、そういう「知る機会」「興味を持つ機会」を昭和後期から平成一桁時代の、シマの大人達に与えてもらえなかった事が残念なのです。
令和の子供達の「知る機会」を今までと同じようにずっと奪い続けるのか。
それとも70周年を新たなスタートとして、知る機会づくりを増やすのか。
復帰運動の初期が地道な個人個人の活動であったように、これもまた今の奄美に住むシマッチュ一人ひとりの意識次第、ではないでしょうか。