クリスタルチャネリング・再びアンバー(琥珀)と
少し前にアンバー(琥珀)とのチャネリングを試みて出てきた過去生、教会で祈る人だったという内容を書きました。
その後、教会へ行ってきました。その個人的な覚書です。
教会の在り方が想像と違う〜私が勝手に理想を思い描いただけのことなのだけど、どうして教会へ理想を描いたのか?再度チャネリングしてみました。
ーーアンバー(琥珀)に意識を合わせてチャネリングーー
フジコ・ヘミングの『ラ・カンパネラ』が流れてきた 彼女はドイツの人だったなあと思ったところへ
「こわいものは何もありません」という祈りの言葉を思い出した
子供がシュタイナー教育の幼稚園へ通っていた時、祈りの時間がありその時の言葉だ シュタイナー教育の祈りを調べてみるとすぐに出てきた シュタイナーもドイツの人だ
私の頭も私の足も
神様の姿です
私の心にも両手にも
神様の働きを感じます
私が口を開いて話すとき
私は神様の意志に従います
どんなものの中にも
お母様やお父様や
すべての愛する人の中にも
動物や草花や
木や石の中にも
神様の姿が見えます
だから こわいものは何もありません
私のまわりには
愛だけがあるのです
ーーーーーー
20年近く前、私はこの幼児の祈りが好きで心救われていたことを思い出しました。「こわいものは何もありません」そんな心境になることに憧れていました。常にこわかったから。静かに話を聞いてくれて祈る場所が欲しいと思っていました。
でも今私はそんな場所を借りなくても祈ることができて、心が落ち着いています。
望んだことは既にここにあり、教会の静けさは彼の全てであり、私の全てであるということ。だから他の場所にそれを望む必要がないということ。愛は既に広がっていて、私は存在するだけで十分だということ。
その現実に気が付いて、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
チャネリング内容は過去生ではないけれど、忙しく日々を過ごしてきたので、シュタイナー教育の幼児の祈りのことはすっかり忘れていて、思い出せて良かったです。
それとは違って宗教建築にはやはり興味があって、権力の象徴だったり、その場所にいる人達の圧倒的な祈りだったり、そんな人間の心を表す建築にはとても心惹かれます。