ウマ娘進化論(妄想ノート)

※これはスマホアプリゲーム・TVアニメなどで展開されている「ウマ娘」をネタにした妄想ノートで、実際のゲームやアニメとはまったく関係ありません。公式設定とは何の関わりもなく、歴史的事実にも合致しません。いろいろな偏見が顔を覗かせているかもしれませんし、徹頭徹尾ホラ話で、真実は一切含まれていません。でも、愛はあります。

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 ウマ娘という進化の奇跡ともいうべき存在をご存じだろうか。
 彼女たちは我々人類と変わらず直立二足歩行をし、前肢を用いて細かな作業が行えるだけでなく、言語を操り人類と同等かそれ以上の知的活動をおこなうことができる。
 その身体的な特徴としては、耳の位置が人類と異なり頭頂の左右にあることと、被毛豊かな尻尾を持つことだ。その点では、四つ足の草食獣に近い。
 しかしながら、その顔貌は耳の位置を除いては人類と変わるところがなく、おおむね美形である。
 人類の女性とほぼ同様の体型でありながら、すぐれた瞬発力・持久力を持ち、時速50キロを超える高速で数キロあまりを走破することができる。
 そして、この種属には雌型しかいない。ウマ娘という呼称はそこからも来ている。ウマ息子は存在しないのだ。
 これがまさに進化の奇跡たるゆえんで、ウマ娘は人類の男性との間に子をなすことができるのだ。そしてウマ娘が産む子供は必ずウマ娘となる。
 ウマ娘の祖先は、およそ3500万年前、北米大陸を中心に生息していたメソヒップスという四つ足獣から枝分かれをしたものと推定されている。この時期は人類の祖先であるヒト上科(ヒト、オランウータン、ゴリラ、チンパンジーなどの祖先)が分化したのと同じくらいの時期で、この時期以降、二系統の霊長類が併存しながら進化をしていったことになる。
 霊長類は、最終的には一種族のみが勝利者となり、他を駆逐する。実際、人類の進化の過程においても、現人類に連なる一系統を除いて、すべて絶滅した。
 ウマ娘の祖先――ウマ原人とでも呼ぶべき存在もまた、人類との苛烈な生存競争にさらされたことだろう。
 化石の調査においても、およそ10万年前くらい前にウマ原人はほぼ絶滅に近い状況に追い込まれたことが推定されている。
 だが、進化の奇跡がウマ原人に起こった。
 霊長類のトップに君臨しつつあったホモ・サピエンスとの間で生殖が行えるようになったのだ。
 起源を辿ればまったく異なる種族であるのに、生殖が可能になったのは生物学上、説明がつかないミステリーだ。
 だが、それは実現し、以降、ウマ原人は急速にホモ・サピエンスと共通した外見的特徴を備えていく。
 そして、3万年前くらいには、ホモ・サピエンスとほほ変わらない骨格を持つようになった。約2万年前のラスコー洞窟の壁画にも、立ち耳と尻尾を持つ人型の生き物が描かれており、この頃にはすでに人類との共存が始まっていたとも言われている。そして、およそ1万年ほど昔から、一種の家畜化が進んだとみられている。
 おそらく、この過程で雄型のウマ原人は滅び、雌型だけが人類と交配することで生き延びたのだろう。
 現在のウマ娘が雌型のみなのは、こうした進化の過程を経たからだと考えられている。
 頭蓋骨の形状の変化も顕著で、上下の顎が短くなり、人類と同様の長さに変化した。これは人類にも見られるネオトニー(幼形成熟)の類例とされる。
 また乳首の数も一対のみであり、これはウシ(二対)、イヌ(四対)などに比べて少なく、人類と同数である。人類の女性と同様、乳房の発達も見られる。乳房の発達は人類においても、直立二足歩行に移行した際に、従来、臀部が担っていたセックスアピールの役割を胸部に持たせるように進化したためと考えられており、ウマ娘も同様の戦略をとったものと思われる。
 これらの変化は、繁殖のために、人類の男性に選択されやすい容姿を備える必要があったためだと推定されている。
 現在のウマ娘の容姿が全般的に優れているのも、これが理由であると考えられている。

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 人類との共存の歴史において、ウマ娘は苦難の道を歩んできた。
 それは否定しようのない事実だ。
 歴史上、ウマ娘が文献に登場するのはおよそ4000年前、エジプトにおいてである。エジプト神話の神々にはハヤブサやイヌ、カバやワニなどの頭部を持つ者が見られるが、ウマ娘とみられる神の図像も存在する。この当時はウマ娘の外見は現在とほぼ変わらない状態になっていたはずだが、太古の昔、より長い顎を持ったウマ原人の姿が人類の記憶の中に残っていたのかもしれない。また、異形の者として、ウマ娘は信仰の対象にも、同時に迫害の対象にもなっただろうことは想像に難くない。
 神と人が分かたれる以前から、時に人類の敵対者とも協力者ともなったウマ娘、もしくはその祖先のウマ原人は、世界中の各文化圏でさまざまな姿と役割を持たされた。ケンタウロスやアスモデウス(牛の首を持つとされるがウマ原人の暗喩という説もある)、オロバスなどなど、ウマ原人の姿を彷彿とさせるさまざまな悪魔・邪神が知られている。
 有史以降、ウマ娘は世界のさまざまな地域で奴隷、あるいは家畜に近い扱いを受け、重労働を課せられたり、性的に搾取されていた。
 逆に、その類い希な美貌が当時の権力者の心を奪い、女王のように権勢をふるった例もあるが、多くはウシやヒツジのような経済動物に近い扱いだったと言えよう。
 ヨーロッパ中世期以降、魔女刈りのブームが起こったとき、魔女の汚名を着せられ処刑されたウマ娘は数限りない。
 また、その走力は戦争にも利用された。古くから、ウマ娘に戦車を引かせたり、背中に乗って走らせるなど、ウマ娘を戦争の道具に使う民族は多数あった。
 軍隊における伝令役に使役されることも多く、古代オリンピックのマラソン競技はウマ娘同志で競わせたのが起源とされている。
 近代に至ると、陸上競技において人類とウマ娘の差は圧倒的なため、ウマ娘はオリンピック競技からは閉め出され、ウマ娘だけで速さを競うレースがひろくおこなわれるようになった。
 ただし、初期のウマ娘のレースは、奴隷同士で戦わせられた剣闘士の試合に近い、ウマ娘の健康や幸福を完全に無視した過酷なものだった。
 近代に入り、黒人奴隷解放(1862年)がおこなわれるなど、人種問題に関する取り組みの気運が高まる中で、ウマ娘の地位向上も進んでいった。
 この頃になると、アメリカやヨーロッパにおいてウマ娘のレースがビッグビジネスに成長し、巨額の財産を築くウマ娘も現れるようになった。
 1890年、ジャッキー・ロビンソンが黒人初のメジャーリーガーになった頃には、ウマ娘の地位も人間と同等に引き上げられるようになっていた。
 そこからの百年間で、ウマ娘の人権は全世界で完全に認められるようになり、21世紀に入ってからは、ウマ娘への不当な差別を容認する国家は存在しない。
(南アフリカ共和国で黒人差別政策アパルトヘイトが廃止されたのは1994年だが、ウマ娘を差別する国もその頃にはだいたいゼロになっていた)

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 日本においては、ウマ娘は農耕のための労働力として珍重され、比較的、苛烈ではない境遇に置かれていたと言える。
 日本語に残る「手塩にかける」とは、江戸時代、貴重だった塩をウマ娘に手ずから舐めさせていた風習に基づくものだし、「マ子にも衣装」とは、ウマ娘をわが娘の如く可愛がって着飾らせる人が少なくなかったことを示している。
 江戸幕府の五代将軍綱吉が「生類憐れみの令」を出し、ウマ娘への不当な扱いを取り締まったり、八代将軍吉宗が芦毛のウマ娘を常に傍におき、時に海辺を走っていたのは有名な話だ。(吉宗はおんぶされた状態で)
 浮世絵でもウマ娘の美人画が好んで描かれ、東西ウマ娘美人番付が出版されるなど、一種のアイドルとしてもてはやされることもあった。
 明治維新とともに階級社会が再構成され、正式にウマ娘は人間と同等になったが、特に大きな混乱はなかったとされる。世界各地で起こったウマ娘排斥運動や、その逆にウマ娘によって起こされた反乱(その多くが悲惨な結果に終わった)は日本の歴史においてはほとんど見られない。これは日本人が昔から「可愛いは正義」を是とする民族だったからだ、と主張する学者もいる。しかしながら、日本において、ウマ娘に対する差別や迫害がなかったわけではなく、特に性的搾取の面では惨状を極め、遊郭や女郎屋に売られるウマ娘が後を絶たず、昭和31年に売春防止法が施行されるまで、合法的にウマ娘たちを売春させる業者が数多くいたということを忘れてはならない。
 日本において、ウマ娘のレースが始まったのは江戸末期(1860年)のことで、欧米人が中心となって出走するウマ娘を集め、現在の横浜・根岸で最初のレースがおこなわれた。着物の裾をからげて走る姿が風紀上よろしくないと当局の横やりが入ったりと紆余曲折はあったものの、1849年にアメリア・ジェンクス・ブルーマー夫人が提唱した女性向けの運動服を採用することで、ウマ娘たちによるレースの体裁は整っていった。現在でもトゥインクルシリーズにおいて、G1を除くレースでウマ娘たちが運動服を着用しているのも、この時からの伝統であるとされる。
 明治以降、ウマ娘たちによるレースはさかんになっていき、居留外国人のみならず一般市民にもその人気は高まっていった。
 第二時世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を経て、1951年、ウマ娘のレースを管理・運営する、URA(Umamusume Race Assosiation)が設立された。
 このように、ウマ娘の社会進出においてレースは大きな役割を果たしたが、ウマ娘の身体能力や美貌はさまざまな分野で珍重された。
 ウマ娘のみで構成される各種スポーツ競技(野球、サッカー、セパタクロー等)はプロ化され人気を博しているし、芸能界で成功しているウマ娘も枚挙に暇がない。
 ウマ娘はその進化の過程で人類の男性が好む特質を手に入れているため、ほぼ例外なく美しく可愛らしい容貌をしているが、それがゆえに人類の女性からはバッシングを受けてしまうという傾向は残念ながらあるようだ。もちろん、ウマ娘萌えの女性も多く、宝塚記念は当初は女性ファン限定の投票による選出レースで、出走するウマ娘たちは特別な勝負服をまとって男装をするのが恒例だった。(現在は男女平等の観点から廃止されている)
 このような高い身体能力を有するウマ娘だが、格闘技においては正式なプロ団体などは存在しない。これは、ウマ娘が持つ身体能力が人類にとっての脅威にならないようにするため、ウマ娘側が自主規制をしている意味合いが強い。成人男性のおよそ三倍以上の筋力を平均的に持つとされるウマ娘は、簡単に人間を倒すことができる。本気の蹴りの威力は、骨折や、最悪、内臓破裂を引き起こせるほどだ。だが、その力はかつてのウマ娘迫害の原因にもなっていたこともあり、ウマ娘が人間社会に溶け込むために封印されている。
 一部、エンタテインメント性の高いプロレスでは、ウマ娘のレスラーが存在するが、もちろんリングの上で本気を出すことはない。
 このため、「人類最強よりウマ娘の方が強いんじゃね?」論はたびたび格闘技ファンの間では取り沙汰されており、「地下格闘マンガ」のラスボスはたいていウマ娘に設定されている。
 だが、これまで記載してきたように、ウマ娘は人類と共存することで生きながらえてきた種族であり、人間に対して敵対心を持つ、闘争心の強い個体は淘汰されてきたと考えられ、必然的におとなしく心優しい遺伝グループが主流となっている。彼女たちの闘争心は、対人間ではなく、レースでの勝利に向けられるのが一般的な傾向である。

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 最後に、ウマ娘と人間の恋愛について語りたい。
 これまで幾度も言及したとおり、ウマ娘は人類の男性と交配することで子孫を残してきた。
 人類の女性が異性である男性に愛を感じるように、ウマ娘も人間の男性を愛するのかもしれない。
 とはいえ、ウマ娘と人類は種族でいえばまったく異なる系統に属する。同じネコ科のライオンとトラも交配は可能だが、生まれた子供(ライガー)には生殖能力がない。種族の壁とはかくも厚いものだ。
 それなのに、なぜウマ娘と人間は子供を為せるのだろうか。これは本稿の冒頭で述べたように奇跡としか言いようがない。
 筆者はここで自説を唱えたいと思う。それは、「運命の導き」説だ。
 ウマ娘に関する伝説は、世界各地にある。その多くは、ウマ娘の祖先たちが、母から娘へ、またその娘へと、語り継いできた伝承がもとになっている。
 その伝承に共通するモチーフとして『あなたの名前は異世界から受け継いだ輝かしい名前』というものがある。
 ウマ娘は人類の文化に取り込まれてきた。習俗もすべて人間のものに従っている。だが、その名前だけはウマ娘独自の命名規則に基づいて付けられる。それは、一種の占い、天啓によって名付けられるという。不思議なことに、ウマ娘は左右の耳のどちらかに耳飾りを着け、それを一生守る風習もあるのだが、その飾りを左右どちらか着けるかも、天啓に従うのだそうだ。それも世界中のウマ娘が、それぞれの地域特性はありながら、天啓に命名と耳飾りの位置を委ねることだけは共通しているらしい。
 さりながら、その名前には、意図を図りかねるものが少なくない。
 トウショウボーイという勇ましい名前を、どうして、愛らしい女の子につけるのか。
 ジーカップダイスキと名付けられた子の気持ちになってみろ。その子の胸が育たなかったら「やーいやーい名前負けー」と言われ続けるだろうが。可哀想と思わないのか。
 キンタマーニにいたっては……と思ったが、これは由来する土地名がどこかにあるらしい。それにしても、天啓だからってあんまりすぎないだろうか。
 ちょっと余談になってしまったが、ウマ娘の名前は天啓により『異世界から受け継ぐ』という伝説が生きている。そして、その異世界の伝説には膨大なバリエーションがあるという。
 だが、その膨大な伝承の前提はだいたい似通っている。
 その異世界では、ウマと呼ばれる足の速い生き物がいて、人間とひとつになって走り続けてきた――というのだ。
 異世界のウマは、四つ足で、言葉を話すこともなく、もちろん人間と恋をすることもない。
 それでもウマと人は、ただ「速く走る」という一点で心を通わせ、ともに苦心し、勝利に向かって進み続ける。
 時に敗れ、傷つき、ゴールに辿り着くことなく、命を終えるウマもいる。
 勝利に恵まれず、ただただ挫折感のみを抱いて去っていく人もいる。
 だが、勝利と歓喜の瞬間は訪れる。その時、ウマと人は、ひとつになって、夢となる。
 多くのウマたちが、人間たちが、その夢を追い求めて、ただただ駆け抜けていった。
 そんな異世界から『輝かしい名前』を受け継いだウマ娘たちは、きっと人間とまたひとつになりたいのではないだろうか。
 それが、ウマ娘たちが今なお走り続け、そして人間の男性に恋し、結ばれる理由なのではないだろうか。(もちろん、女性に恋することもあるだろうが)
 自分は思うのだ。
 異世界では非業の最期を遂げたかもしれないウマの名前――そう、たとえば「サイレンススズカ」という名前を受け継いだ少女は、きっと緑のターフに再び降り立ち、誰よりも速く走りたいと願うだろう。そして、かつて異世界でともに走って夢を追った誰かのような青年と――いつか恋に落ちるのだろう。きっと、異世界からそういったさだめを受け継いだ人間もいるに違いない。
 それが、ウマ娘と人間の恋なのだ、そんな気がする。

 長々と語って来たが、我々の世界において、ウマ娘というのは、不思議で、美しくて、尊い存在だ。だが、その存在に近づくために、我を失ってはならない。具体的にいえば、課金はほどほどにすべきだ。推しを愛でつつ、お財布にも優しく、少し愛して、ながーく愛して。

どっとはらい

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