これから、小説を書くということ。

十代の頃に書こうとした物語をふと思いだした。

思いだしたら眠れなくなった。

長い長い物語だ。あらすじを語っていたら朝までかかるくらいに。

子供の頃は漫画家になりたかった。でもじきに自分には無理だとわかった。人物は得意だったが背景が描けない。メカも描けない。得意だと思っていた人物も実際には同じ向きの顔しか描けなかった。

小説なら、と思って書きだした。中学生の頃だ。漫画にしたくて考えたシーンを文字にしてみた。絵で表現したくてもできなかったことが、文章でならできる気がした。なかなかうまくいかなかったが、習作を続けた。

高校一年生の終わり、はじめて一本、小説を書き終えた。春休みだったことを覚えている。嬉しくて嬉しくて、家の中を走り回った。あんな達成感は他に知らなかった。

それから、物語を小説の形で書くことが自分にとっての喜びとなった。

長編シリーズの構想が生まれ、それをノートに小説形式で書くことが趣味になった。

いくらでもストーリーは湧いて出た。構想がどんどん広がっていった。

絵も好きだったから、表紙や挿絵も描いた。本のようにしたかった。
そういったノートが何冊もたまっていった。

だが、当時は小説を書く技術も知識もすべてが足りなかった。
じきに筆は止まった。ノートに綴られた「長編シリーズ」を完結させることはできなかった。

それでも、自分はいつかこの物語で世に出るのだと思っていた。

でも、そうはならなかった。 

社会人になっても、仕事の息抜きに小説を書くことは続けていた。ネットの時代になり、他人に作品を読んでもらうこともできるようになった。

今は無きニフティサーブの電子会議室。

ファンタジー&SF会議室で、初めて、ノートではなく、テキストで小説を書き、公開した。他人に読んでもらう、という経験をした。

人に作品を読んでもらい、感想をもらうことがどんなに嬉しいことか。
高校生の時、一作書き終えて感じた喜びとはまた違った感覚だった。

小説を書き、人に読んでもらうことが、生き甲斐になっていった。

その会議室では、三百行という縛りがあったから短編が中心だったが、いつか手を止めてしまっていた「長編シリーズ」を書きたいという思いが生まれた。

そして、数十回に及ぶ「連載」を経て、長編を一本書き上げた。「風のアジェス」というタイトルをつけたその作品は、実際には未完の「長編シリーズ」の後日譚だった。本編を書く前に、本編の後、数百年も経った世界を舞台にした小説を書いてしまっていた。

「長編シリーズ」はいつか書くつもりだった。だが、その「いつか」はちっとも訪れなかった。

時間が経過していった。とつもない長い時間が、あっという間に走り去っていった。

その間、いくつか小説を書いて公開した。プロのレベルには残念だが到達できなかった。何度か公募に挑戦してみたが一次選考を通るのが関の山だった。プロになるために必要な素養が致命的に欠けていた。

プロになるためには「量が書ける」ことが必須条件だ。だが、自分には思いついた「長編シリーズ」を書き上げることさえできない。思いついたように、ポツポツと趣味の小説を書くだけだ。

売れる小説を書くための研究や訓練を自らに課すこともしない。問題外だ。

「この物語で自分は世に出る」

そんな想いも薄れていき、じきに思い出すことさえなくなった。

小説ではないが、「ものを創る」仕事に就くことができ、それなりに自分の作りたいもの」を形にして、世に出すことはできた。

非才な自分としては、十分な結果だと思う。

だが、今日になって――

不意に思いだしてしまった。

自分が書きたかった「物語」を。

書かないまま数十年放置してしまった構想を。

動かしてやれなかったキャラクターたちを。

ノートに小説を書き殴り、下手なイラストを描き込んでいた時に自分はわくわくしていたはずだ。

物語世界の年表や地図を作っては「設定集」としてまとめて悦に入っていた。それが「黒歴史」になるとは思わずに。

その時、自分はきっと今よりもずっと充実していた。物づくりをしていた。

純粋に、「書きたい」という想いに任せて、エネルギーをぶつけていた。

ああ、くそ。

あの頃の自分に負けたくないよなあ。

まだ、書けるなら。

想いが残っているのなら。

書いてみたいと思ったのだ。

だから、夜中に起き出して、小説が書けるブログを検索して「note」に登録した。

小説書きとしての自分はまったくカラッポで、件の長編シリーズの構想も、細かい部分はすっかり忘れている。

だが、いつかは書かなくてはならないのだ。死んでしまう前に、形にしなくてはならないのだ。

自分が生きてきた証を刻まなくてはならない。その時がもう来てしまっている。

もう猶予はない。



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