承認欲求との付き合い方
承認欲求との付き合い方は、私なりに仕事を通して色々と考え、ある程度結論と対策ができているつもりではいました。
でもnoteを始めたことで、仕事の時とは違う承認欲求が出てきました。(もしかしたら自分が理解できていないだけで、突き詰めていくと同じなのかもしれませんが)
今回はそんな承認欲求について書きます。
仕事の承認欲求について
前回の記事「転職」でも書いていますが私は自分の仕事があまり好きではありません。(そもそも何で嫌な仕事についたの?と思いますが、それは過去の生い立ちから話す必要があり、気が向いたら記事にします、過去の弱い自分のせいです)
そのため仕事では、「この問題の本質的な解決策は何か?」というより、「上司に怒られないようにしよう」や「他人に迷惑をかけないようにしよう」など、人の顔色ばかり気にして仕事をしていました。
もちろん、そのような考えでは良い仕事(問題解決)はできません。
そんなある時、「そもそもこの人のことを尊敬もしていない or 好きでもないのに、なんでこの人の顔色を気にしながら仕事しているのだろう?」「この人は私の人生全ての責任をとってくれるわけではないのに、ご機嫌取りをしているのだろう」とか思うようになりました。そこで、YOUTUBEのDAIGOさんの動画やアドラー心理学などを見て承認要求に囚われすぎていることに気づきました。
今でも、上司を怒らせないようにしようとはしているのですが、それは上司に好かれようとしているのではなく、戦うのが面倒くさいからです。「あ、また何か言ってるな」的な感覚で流しています(この方法は本当は良くないと思います。半沢直樹みたいに苦しみながら戦った方が結果はどうであれ、貴重な経験と心の充実感および幸福感は絶対にあると思うので)
そう考えることで、昔よりストレスは少なくなりました。もちろん0にはなりません。たまに上司からはいらない一言(人格否定的な)を言われてイラっとしますし。
そんな時は、原因自分論を取り入れて、自分のコミュニケーションの仕方が悪いのではないか?もう少しコミュニケーションを改善できないか?と考えることで、気持ちの折り合いをつけています。(相手は変わらないので)
そのように上司や他人からの承認欲求をある程度捨てることで、心のストレスは少なくなりました。(ストレスが溜まりまくった時は、昔の友達や会社の同期に愚痴を聞いて貰っています。感謝)
noteの承認欲求について
noteを始めた理由は「自分の日々感じたことを日記感覚で残す」「あわよくば未来の自分への投資(副業)などに繋がればいいなぁ」ぐらいの軽い気持ちでした。
でも初めて記事を投稿した時、何人に読まれたのか?が凄く気になり数時間間隔で閲覧数をチェックしていました。
そして、閲覧数が少ないのを見るたびに気持ちが落ち込んでいました。(そもそも大したこと書いていないので読まれるはずがないのですが)
そんな中、初めてスキをもらった時はとても嬉しかったです。そしてスキが増える度に喜びが大きくなっていきました。
でも客観的に見ると「これも承認欲求に囚われているのではないのかな?」と思いました。
あれほど仕事で承認欲求に囚われすぎて痛い目を見てきてのに、またはまるのかと・・・・
でも、仕事の時とは違う承認欲求の感覚がしています。(例えば、「自分が生み出したものは、誰かに読まれなければ無価値なのではないか」的な、でも突き詰めると仕事の時と同じ承認欲求なのかもしれませんが)
ひとつ分かっていることは、この記事を投稿した後に、また閲覧数とスキの数を気にしながら明日を生きてゆくということです。(インスタやツイッターのいいねの数を気にする人の気持ちが分かったのが、今回の良かったことでもありますが)
それも悪いことではないのかもしれませんが、承認欲求に囚われ、満たされない幸福感を追い求めて病まないように気を付けます。
頭では分かっているつもりでも、時と場所が変われば同じ失敗を繰り返してしまうのかもしれない。そんな同じ失敗をする日々の自分をを認めて修正し愛せるように歩んでいこう。