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「自己顕示欲」と「ただの自分でありたい欲」

「自己顕示欲」は、最近薄まってきたかもしれない。
と、いうか、
なんとなーく、
(「他人から見て」ではなく、自分で)自分の自己顕示欲が、
まるで何だか伸びすぎた前髪のように「鬱陶しく」、
また自分の「集中力が削がれるように」「視野が狭くなるように」
感じられることが増えたので、
意識して抑えるようにしている、という感じかもしれない。
「欲」というものは、概してキリがないものだ。
「自己顕示欲」もまた、「食欲」や「性欲」などともどこか似ており、
一度満たしても、結局時間が経つと「もっとくれ!」と戻ってしまう。
つまり「本当の満足」は、
自分自身で精神的に「キリ」を付けないと、
そこにはやってこないものなのである。


が、そのかわりと言ってはなんだが、
「自分でありたい」欲は、強まってきた感がある。

例えば、集団とか社会的肩書とかそういう
「自分そのものとは違う何か」に「寄生」しなくても、
自分がそのまま自分であれますように!
と、この頃強く思うようになってきたのだ。

そして、ここから先は、人生の終わりに少しずつ近づいていく中で、
様々なものに様々な影響は受けながらも
どんどん更なる「ただの自分」に戻っていきたいものだとも思う。

言うなれば、
一番「最期」に、「ただの自分」になった時に、
「自分自身から見て」恥ずかしくない自分になりたいのである。


「他人(外側)から見える自分」は、
必ずしも「本当の自分自身」ではなかったりとか、
または「自分のごく一部分・ごく数面だけ」だったりもするし、
そして、そちらを気にしすぎると、
「自分自身」が、自分でも見えなくなる気もする。

つまり、
「自己顕示欲」というものは、時々、
「自分というもの」を自分でわからなくしてしまうことがあるから、
本来は、結構扱いが(他の欲とも比べても)難しいものなのではないか?
とも私は感じ始めたのである。



――もう何なら
「自分らしく」なんていう定義すら、
「他人と比べて」がつきまといそうな気もして、
私は疑い出している。
「他人との比較の上に成り立つ自分」は、
やはりたぶん、「自分」ではないからだ。

ただただ、「ただの自分」に、少しずつでもなっていこうと思う。