上書きの人生
今月は母の命日があります。
当日は行けないので、今日仕事終わりにお寺にお参りしてきました。
一緒に暮らしたのは12歳まで。
存命中は仲が良かったかといえばそうではなく、お互いのことを理解できないまま母は寝たきりになりました。
交通事故で脳に重い障害を負い、その後は体の機能も言語も記憶も失い完全介護状態。
命が助かったのも奇跡に近い状態だったように思います。
当時運ばれた病院の治療で、腫れ上がってしまった脳を元に戻すため、頭蓋骨に穴を開けてカメラを差し込んで様子を見ながら体温を極限まで下げる治療を受けている母を見て、正直なところこの状態を生きていると言って良いのだろうかと子供ながらに思ったことを覚えています。まるで機械に無理やり生かされているように思えてならなかった。
それからも本当にたくさんのことがありました。
でも、それを今更どうのこうの言っても仕方がないのです。
親に言われた、されたことが許せない、周りの人に傷つけられた、色々あることでしょう。私もいまだに思い出して悲しくなったりムカついたり、やり場のない想いに支配されることがあります。
それでも起こったことは変えられない、一生向き合って自分で癒していくしかないのです。それしかないのかなと思います。
正義の味方も、白馬の王子様も誰も救ってはくれないから自分で自分を認めて癒していくしかありません。
これが理解できなかったから、きっと私は病気をしまくったのだと思う。
私は、病気は自分でやめられると思っています。
もちろん、病院で標準治療を受けることも大切す。
でも、結局病を作ったのは自分です。
毎日死ぬことを夢見てリストカットしていた若かりし頃、世を恨むことに疲れて「死ぬ気で生きてダメだったら死のう」と思えたら手首を切らなくて平気になりました。
鬱でいることに飽きたら、自然と薬を減らせて回復しました。今では病気のデパートだったと言っても信じてもらいないくらい元気になっています。
それでも、そこまでやってもいまだに足元がすくわれそうになる。
だから私は文章を書いて自己表現をすることで上書きをする作業をしています。
人からの評価は正直気にしていません。
自分らしく、自分の人生を生き抜くための自己表現です。
そのことを改めて言語化できたのは、今日のお参りのおかげかも知れません。
偶然スーパーで、母が生前好きだったお菓子を見つけたので久しぶりに買いました。
よほど好きだったのか母はこのお菓子をあまり私たち子供には分けてくれず、大人になって自分で買えるようになってワクワクしながら食べましたが、察してください。
母の命日か供養のタイミングでしか買わないです(笑)
命日の日は、このお菓子と熱いお茶でしっぽりしてみようかな。
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