16歳の夢の話
16歳の冬、夢を見た。
私はどこかの神社にいる。
狭い境内には軽トラが停まっている。
時刻は夕方だろうか、日が傾き始めていた。
夕日を背に受けながらしばらく拝殿の方を見ていたが、どうしようもなくなり振り返るとすぐ後ろに小学校中学年くらいの男の子がいた。
何を思ったのか、その知らない子に私は尋ねた。
「ここはどこ」
男の子は答えた。
「アシキリジンジャ」
その瞬間、猛烈な速さで意識は現世に引き戻され、私は金縛りで目が覚めた。
夢はよく見る方だったが、やけに生々しく、その場の空気感や気温や気候の肌感まで残っている夢は珍しかったので、徹底的に調べてみた。
すると、九州のとある場所に本当にその神社が実在したのである。
足切神社は、九州出身の母の故郷の程近くにある小さな神社で、和気清麻呂という平安貴族が讒言で九州に流される途中に足の傷を癒した神社だそうな。
なんとか宮司様に連絡を取り、怪しまれながらも資料などを送っていただいて、同封されていた境内の写真を見ると、夢の中の風景そのもの、軽トラが停まっている場所まで写真の通りだった。
なぜそんな夢を見たのか、当時はただただ不思議だった。
そのまま大人になり、折に触れてこの夢のことを思い出すことはあったものの、そのまま過ごしていた。そして私は2年半前のコロナ禍に居を移した。
都会ながらも下町情緒あふれるところで非常に快適な場所だ。
絶望的だった部屋探しは、奇跡とも言える格安優良物件を見つけ、親切丁寧な仲介業者と出会ったことでスムーズに行き、心も体も平穏な日々を手に入れたのである。
地域の掲示板には近所の稲荷神社の大祭の案内などもあり、その神社がなんとなく気になりながらも場所がいまいちわからず訪れることはなかった。
ところがこの夏、自転車で仕事に向かう際、近道になるかもしれないと入ったことがない路地に進んでとある神社の前を通りかかったのである。
その神社は、気になってた件のお稲荷さんで、なんと、和気清麻呂公が治水工事でこの地に来たことが創建の由来であったことが判明したのである。
約20年の歳月を経て、オチがついたような気分だ。
和気清麿公とのご縁を感じ、一層この土地が居心地良く感じる。
単なる偶然といえばそれまでだが、あの世の存在を信じたいと思わせる出来事だった。