ヤバさの正体は要約すると五感だった話
4年前の緊急事態宣言発令の日に見事にホームレスになり、とりあえず雨風をしのげるところにはいたものの、早急に家を探さないといけないし、でもコロ助で無職だしそれが何年後に安定するかもわからなかったあの時。
運良く安くて小綺麗な部屋をかりることができたのはホントに奇跡だったよな…と何度目かの契約更新を経て思う今日この頃。
あの2ヶ月で家も家族も財産もぜーんぶ無くなった。
ある程度落ち着いたいま考えても、今住んでる地域はご縁があったんだなとまだまだ愛着が沸いてくる。この季節になると、都会なのに下町風な周辺地域では地車の練習が聴こえるし、仕事帰りに少し足を伸ばせば美味しいものが食べられる店もたくさんある。
それでいて繁華街もサラッといける場所なので、こりゃ当分この地域には居座るだろうと思っている。
都会の人独特の『スルー』も私にとっては気楽に思えて好ましい。
去年の春頃からは表に出るようなことはなるべく控えてゆっくりゆっくりと、自分を癒している。
ずっとこのままだったらどうしよう…
私ってばどうにかしちゃったの…
というところからは脱出して、これからの方向性が見えてきたところです。
私は日常のなかでいろいろな違和感を大切にしていて、うまくは言えないのだけど、コロナ前から感じていた違和感に耐えられなくなって、もう今まで通りではいられないと強く強く思ってしまったのが、今の現状なわけです。
この違和感の正体っていったい何な訳?とここ数ヶ月ひたすら自問していたのだけど、意外と答えは簡単なところにあったかも知れないです。
それがタイトルにもある、五感なのではないかと思うのです。
現代人はあまりにも五感を置いてけぼりにしてしまって、その結果いろんなところに歪みが出てしまっているんです。
HSP(繊細さん)やエンパス、という言葉が流行りですが、おそらくそれくらいが普通なんだろうと考えています。
現代人が鈍感すぎるだけ、というのが今のところの答えかな。
どんな背景があって、どんな過程があって鈍感な人(あえてこんな言い方ですみません)が増えたのかはさまざまだと思う。
掘り下げていくとそれぞれの事情があり、それを悪いという気にはなれないから、それでいい。
でも、鈍感で感覚が鈍っているから刺激が欲しい。だから、極端なこと(刺激)をする人や極端なことを言う人(これもまた刺激)がこんなにもてはやされているんでしょう。
何をどう選ぶかは自由だけど、それを違和感として捉えている人に向けて、こらからは発信していきたいなと思うわけです。
うまく言語化できずとも「なんかちゃうぞ」という感覚さえあれば、カラダやココロの異変にも気づいて対応することができるし、振り回されることもなくなるはずです。
一般受けしないのは重々承知。
でも、違和感を無視できないんだから仕方ない。
これ気付けたのも、今までいた環境から離れたから。
そう思うと、人生無駄なことってないし、無駄にしないようにできて良かった。