心の鬼退治

生まれてから両親はずっと不仲、何度か母とは一緒に家出をしたことがある。
小学校から帰れば、母は大抵どこかに電話をしている。
相手は5人いる兄弟の二番目の姉。私からすると叔母にあたる人。
電話の内容は決まっている。モラハラな父に言われたことやされたことの報告。

父は帰宅すると、食事や風呂以外は自室に篭る。週末はゴルフかパチンコで不在。
それも何年かすると、自宅の離れに居をうつしてしまった。
正直、いてもいないような人だった。
それでも母と仲良くしていれば、時々ヒステリックに叫んだり、勝手口から放り投げられたりはするものの私の生活は回っていったのだ。
妹の方が素直で可愛い、なんて言うのは勝手に言わせておけばよかった。
栄養失調や肺炎は可愛いもの。結果、取り返しがつかなくなる前に病院には連れていってくれたから。

側からみれば危うい関係だったかもしれないけれど、非力な子供には所詮何の力もない。
中学に入って1ヶ月で母が事故に巻き込まれ、寝たきり完全介護になってからは毎週末施設に介護をしにいった。
時々は家に連れ帰り、食事やオムツの世話。
事故当時、容体が落ち着くまでの間は、母方の親戚の家に預けられた。
それまで、父と母方の親戚たちが母の事故のことで揉めに揉めて怒鳴り合いをしているのを何度も見ていた、と言うか巻き込まれていたので嫌だったけれど「頼むから行ってくれ」と、父に疲れた顔で言われたので断れなかった。
案の定、電話で父と喧嘩になった親戚に、興奮したまま「お前の父親が代わりに事故にあって死ねば良かった」などどいわれ、しまいにはその親戚たちが入信していた新興宗教の集会に無理やりつれていかれそうになり、泣いて父に帰りたいと訴える結果になってしまった。
話せない、自力で食べることも危うい寝たきりの痩せてしまった母は子供でも軽々と持ち上げられたことが印象に残っている。
高校卒業目前であっけなく、風邪を拗らせて肺炎になり亡くなってしまったけれど。
それとほぼ同時に父はリストラにあい、再就職先も見つかずパートタイマーに。
元々、家のために働けと言われていたから反対を押し切った大学進学も自力。
それでもそこで人生において最高に楽しい時間を過ごせたのは、友人を見つけられたこと、恩師に巡り会えたこと、本当にやりたいことをしていたから。

周りに流されて就職してみるものの、家庭においてコミュニケーションを学んでこなかったのが災いしてうまくいかず転職。
やりたいことが見つかり、、自由業をしているけれど、軌道に乗るまで気にかけてくれたのは会社員時代に可愛がってくれた人や友人だった。

そんなおり、父も病に倒れ何度かの命の危険を乗り越えて復活したものの、持ち前のモラハラを発揮。
その事件の半年前にも自宅で倒れ救急搬送を試みるも、行きたくないと大暴れ。
救急隊員さんに噛み付いて怪我をさせた上に、私にも「救急車を呼んで恥をかかせた」と怒鳴り散らす始末。

このままでは、どちらかが死ぬまで終わらない

その恐怖感に突き動かされ、大切なものを箱詰めして宅急便で発送したのち家を出た。
ものの3時間ほどで自由になれたのだ。もっと早くにこうしていればよかったのかもしれない。
その日は第一回目の緊急事態宣言当日だった。どうやって電車を乗り継いだのか記憶にはないけれど、そこから3週間は仕事の取引先の床で寝起きをさせてもらい家を決めた。
とてもとても親切で仕事ができる仲介業者さんだった。あの人がいなければきっと家探しは無理だったと今でも思っている。
実家に残してきたものは、この頃には処分されていたので本当になにもない一からのスタート。いっそ心地が良い気もする。

救いをもとめて知り合いの嫁ぎ先である日蓮宗のお寺に長年いろいろなことを相談してきたのに、それも結局は性格が悪すぎて嫁が来てくれない次男と結婚してくれ、という結果に終わった。
●結婚したら寺で同居
(長男の子どもの保育園の送り迎えや食事、風呂の世話なども寺でやっていたから当然これも含んでの同居だろう)
●コロナで結婚式は無理だから、挨拶状だけ出すこと
●数年は自由業で働いて、ゆくゆくは寺に入ること
(この話を聞いて、借金があと数年で返し終わるので、息子たちには税金がかからない程度の給金しか払っていないと言う話を聞かされたことを思い出す)
●息子は口がたつけど普通の子とやたらに強調する
(この発言をした張本人が数年前の正月に、口が達者すぎてついていける女がいないとなげいていたのを覚えている)
●一人暮らしが楽しいのなら、籍だけ入れてしばらく別居も可能
●次男は男だから掃除や片付けは苦手、その点あなたはまめだからちょうどいい
●お経も読めるし知識があるから色んな人の相談にも乗れて、お寺では即戦力だから適任
●うちは家族会議でも本人でもまとまった話だから、あとはあなたのお父さんが何と言うかだね


と言うのがお相手の条件というか、口説き文句でした。
そもそも、口のたつ親がしんどいという相談をしていたはずだったのに、この人たちは何も聞いていなかったのかと思うと悔しさだけが残る。


こんな世界のどこに救いがあるのかもわからないし、これから先に希望があるなんていわれたところで信じられるわけがないんですよね。
だから小説を書き始めたのです。
人にはさまざまな表現方法、発信の仕方があるでしょうが、小説が私にはあっていたようです。

次回作は、僧侶となった男性が密かに大切に思っていた鬼とかした女性を救う物語です。これはきっと自分の中に巣食う鬼を退治したいのだと思う。
世を恨み、みんな消えてしまえ、消えないなら消してやろうかとまで思ってしまった心の鬼までもを退治したいんだ。


怒りや恨みがきっかけでもいいじゃないか。
それでしか身をささえられないこともある。

こうなったら、私は家がたつまで書き続けよう。

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