秋の夜長に思うこと
東洋医学の本や教科書があんなに上辺なことしか書いていないのは、そこから自由に表現せよってことなのでは?と個人的に思ってる。
そのために最低最小限のことしか昔の人は残さなかったのかも知れない。
でも、この基礎が体に染み付いていないとそこから自由に発想することができないのも面白い。
一旦は用意された型にはまり、そこを突破するから「型破り」なんよな。
型を破るには、ひたすらに基礎を擦り続けるしかない。
その基礎に、自分の感性や経験や培ってきた知識と技術が乗っかってからが本番。何を思って、何を実践して、そこから何を感じ取るのか。すでに持っているものにそれをどう乗せていくかが自分らしさなんよな。目に見えない道筋が見えてくる。
だから、こんなにもおもろ!って思わせてくれる東洋医学の伝え方をしている人がたくさんいるんだと思う。
ほんで、この表現力があれば何にでも活かせて、きっと苦しむことはないのにそれが日々奪われているように思う。何も考えなくて良いように、何も感じなくても良いように向かっていることにも焦りを感じるけど、自分にできることはわずかしかない。
去年末、きっと2023年はパッとしない停滞の年になると思ったらやっぱり何をやってもうまくいかないし、何もしたくない年になった。
来年は今よりももう少し動く年になるんじゃないかと思う。
今はそのために準備だ準備。