木曽のすんき漬け
NAGANO ORGANIC AIR
木祖村での滞在制作のためのリサーチ
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参考資料
「発酵文化人類学」(小倉ヒラクさん著)
気になったところ抜粋
<発酵とは?>
「突然ですが質問です。塩を振ったに大豆と、お味噌。毎日食べたいのはどっちですか?」
と聞かれたら、ほとんどの人が「もちろん味噌!」と答えるはずです。
しかしだ。考えてみれば、煮大豆も味噌も実は原料はほぼ一緒。なのに、なぜ味噌は毎日食べても全然飽きない複雑な風味と香りがあるのか。
そのひみつは、微生物。目に見えない生き物が、食べ物を美味しく変身させる。
麹菌という特殊なカビが大豆にくっつくと旨味とコクたっぷりの味噌になり、ブドウに酵母(イースト)がくっつくと香り高いワインが、牛乳に乳酸菌という細菌がくっつくと酸っぱくてさわやかなヨーグルトができる。
このように、微生物が人間に役立つ働きをしてくれることを「発酵」と言います。
<微生物=生物の第三のカテゴリー>
動物・植物・微生物。この3つのカテゴリーが、生物の古典的な分類の3つ。動き回って餌を食べる生き物と、動かずに光合成をして生きる生き物と、目に見えない生き物。
発酵は、第三のカテゴリーである微生物たちが主役になって引き起こされる現象です。
さてこの微生物、実は地球上で最も繁栄している生き物。空気中にも土の中にも、皮膚の表面にも何億、何兆と住んでいる。植物のように光合成するもの、動物のように動き回って他の生き物を食べるもの、光も酸素もない地底や深海、氷河や火山でもへっちゃらな摩訶不思議なものもいます。北から南、空から海底、地球の隅々まで無数の微生物が住んでいる。
そのなかに、ごく稀に「人間によくなつき、良いことをしてくれる微生物」がいます。
彼らのことを「発酵菌」と呼びます。
発酵菌は三つのカテゴリーに分けられます。
サイズが大きい順に、「カビ」「酵母」「細菌」
カビ:麹菌、クモノスカビ
酵母:パン酵母、ビール酵母
細菌:乳酸菌、納豆菌
今のように豊かな食材や食べ物を保存する冷蔵庫がなかった時代、発酵は厳しい冬や夏の腐敗を生き延びるために大事な技術でした。
味噌の場合、1週間ほどで腐ってしまう煮大豆を、”発酵”させることで何ヶ月も腐らず、栄養価も高く、美味しい味わいが長続きさせることができる。
食べ物が時間とともに変化していく様子を観察しているうちに、腐らずにむしろ香りや味が増したり、保存性が高まるレアなケースを選別し、それをいつでも誰でも再現可能のメソッドに築き上げていったのが発酵という「文化」の原点。
<発酵と腐敗>
発酵と腐敗はコインの表裏。
科学的に見ればどちらも同じ現象であるが、人間に有用な微生物が働いている過程を「発酵」、人間に有害な微生物が働いている過程を「腐敗」と定義することができる。つまり、人間の役に立てば発酵、役に立たなければ腐敗ということになります。
<日本人と発酵>
日本でも、最古の歴史資料である『古事記(712年編)』に「ヤマタノオロチを酒に酔わせて殺した」という記述があるように、米や果実から酒をつくっていたことが確認できる。公式には1300年くらい前には、もうすでに日本人は発酵するカビと出会っていたことになる。
<発酵にみる文化の多様性>
なぜ世界中にこんなにも多様な神話=文化が生まれるのか?
その謎を解く鍵は、神話が生まれる場所の「地域性」だ。熱帯なのか雪国なのか、海なのか山なのか、湿っているのか乾いているのか。風土の違いによって、そこに生きる動物や植物が変わり、当然地形と植生が織りなす景色に多様性が生まれてくる。
例えば、カナダの氷河が舞台となっているイヌイットの創生神話「セドナ」と日本の創生神話「古事記」を比較すると、その土地の気候や生態系が色濃く反映されていることに気づく。神話の中では、その土地の野生の自然に存在する具体的な材料を使って人間界の秩序が表現されている。それを裏返して言えば、人間界の秩序は、自然界に存在するものの特性によって規定されることになる。「その土地の風土の数だけ文化がある」&「発酵食品を食べるとその土地のことがよくわかる」ということ。
<木曽のすんき>
長野県木曽町に「すんき」という不思議な漬物の文化がある。何が不思議かというと、世界的に見ても希少な「塩をまったく使わない漬物」なのである。高温多湿で雑菌の多い一般的な日本の気候において、塩は腐敗を防ぐ最強ツールだった。しかし、すんきは不思議とその便利な塩を使わない。
その謎を解き明かすには、その土地の歴史と技術を紐解く必要がある。
すんきの起源は300年以上前にさかのぼる。大概の郷土食と同じく、正式な発祥の記録はない。どこかの工夫好きなお母さんがたまたま発見したものを、長い時間をかけてアップデートしていったのだろう。
あるいは。すんきを生んだのは「木曽町の風土そのもの」ということもできる。
人間が神話を生んだのではなく、その土地の自然が人間に神話をつくらせた、という文化人類的発想だ。
深い山々に囲まれた木曽町はかつて江戸と京都を結ぶ「山の要所」だった。ということは当然様々なプログラムが行き交う交易の拠点だった。食文化も豊かだし、江戸時代からの立派なお屋敷や街路も残っている。つまり山奥ながらリッチな土地なわけだが、唯一リッチでなかったものがある。それが「塩」だ。
日本の製塩技術のほとんどは、海水を乾かす「海塩」だ。中央アジアやヨーロッパのように山からゲットする「岩塩」の文化は発達しなかった。岩塩は、地殻変動で地上に持ち上げられた海水が乾燥して結晶化させる「海塩」が基本になるので、海のない山国では塩が貴重品になる。そこから「いかに塩を使わずに保存食をつくるか」という発想が生まれ、誕生したのがユニークな発酵食品「すんき」であった。
すんきは一言で言えば「赤カブの葉っぱを乳酸発酵させた漬物」だ。どのように仕込むのかというと、11月下旬〜12月にかけての「極寒まではいかない冷涼な時期」に、赤カブの葉っぱを60℃弱のお湯にさっとくぐらせたものを樽に仕込み、20℃〜30℃くらいの暖かい室温で数日〜2週間ほど寝かせる。
非常にシンプルな方法論なのだが、科学的にみるととても奥深い。まず季節。この季節は冷たく乾いているので腐敗が起こりにくい。この時期を越えて本格的な冬になると、田畑は霜が降りてしまうので、超絶妙なタイミングだ。
この赤カブの葉には、野生の様々な種類の乳酸菌がついている。ざく切りにした葉っぱを熱湯手前のお湯でさっと湯通しすることにより、不要な雑菌を取り除き、葉っぱのなかに乳酸菌が入りやすくなる。熱湯で煮込んでしまうと発酵に必要な菌も死滅してしまうので「60℃弱の湯にさっとくぐらせる」というのがポイント。そして暖かい室温(20℃〜30℃)は、発酵の主役になる乳酸菌たちが活発に働きやすい温度。外の寒い温度だと菌が動かず発酵が進まない。室温のちょうどいい環境下で乳酸菌が増えると、乳酸菌の出す酸によってpH値が5.0以下になって酸性になる。この酸性環境が、塩に変わって保存性を与えてくれる(ヨーグルトや酢と同様)。
すんきの原理は、豆乳(植物性)ヨーグルトに似ていると言える。植物性由来の乳酸菌のちからによって環境を酸性にし、雑菌を防ぐ。その結果食材が腐らなくなる。
できあがったすんきには、独特の風味がある。おひたしよりはシャキシャキしたカブの葉の食感と、噛み締めたあとにじわっと染み出てくる酸味と旨味は、ぬか漬けや酢漬けとはまったく異質の味わい。豆乳ヨーグルトに似ているといえば似ているが、それより旨味が強い。
地元の人は鰹節に合わせたり、味噌汁の具材にしたり、蕎麦の汁に入れて食べる。最初食べた時は、「なんかヘンな味」と思うのだが、謎の中毒性がある。木曽に住む人たちはシーズンになると「すんき食べたい…!」という強い欲望に衝き動かされ、各家庭であらん限りのカブの葉っぱを漬け込みまくる。
この中毒的な旨味の秘密を、乳酸菌研究の大家、岡田早苗博士が解き明かした。その秘密とは「植物性の食べ物には存在しないはずのシジミ貝の旨味成分(コハク酸)」だ。このコハク酸をつくるのは、通常の漬物には存在しないすんき独特の乳酸菌群(L・プランタルム、L・ファーメンタム、L・デルブリッキなど)だ。なぜこの乳酸菌たちが活躍できるのかというと「塩分が低い」から。
塩をたくさん使うぬか床や三五八漬け(麹漬け)では「塩に強い乳酸菌」しか働くことができない。しかしすんきではそもそも塩を使わないために、木曽の風土に潜む特殊な乳酸菌たちが増殖し、その過程でカブの葉の栄養成分を分解して「シジミのような旨味」をつくる。つまり、「すんきの味噌汁」は「シジミの味噌汁」に類似しており、木曽の人々は海がないくせに魚介の旨味を堪能していたことになる。うらやましい!
すんき特有の乳酸菌たちはオーソドックスな乳酸菌とは一味違うはたらきをする。
発酵における乳酸菌の主な働きは「乳酸」という爽やかで美味しい酸をつくることだ。これがヨーグルトやお漬物の酸味のもとになる。
しかし、ある種の乳酸菌は「乳酸をつくる以外の別の回路」を併せ持っている。スタンダードな乳酸菌ほどにたくさんの乳酸をつくらないかわりに、変わった香りや旨味をつくるもの、酵母のようにアルコールやガスを出す器用なヤツもいる。イメージとしては「昼はさえないサラリーマン、夜は人気クラブDJ」みたいな感じだね。
すんきが他の漬物とぜんぜん違う風味を持つのは、この器用な乳酸菌たちの作り出す成分のおかげなのだ。そしてこれらを呼び込むキーポイントが「塩を入れない」ということ!
すんきをつくっているのは、木曽に住むお母さんたちなど一般住民たち。普段は会社勤めだったり、農家だったり、主婦だったりする人たちが、シーズンを迎えるといきなり目をギラギラと輝かせつつ全力で「すんき確変モード」に入る。
この時に先陣を切るのが「すんき名人」の精鋭たちだ。木曽町のすんきコミュニティでは、頻繁に食べ比べが行われ、そのなかで「アイツはできる」と評される数名の名人たちが「すんき界のカリスマ」的なインフルエンサーになる。彼女たちのつくった「アルファすんき」は、フォロワーのお母さんたちに株分けされ、各家庭で仕込まれるすんきの種(スターター)になる。
このようにすんき界の構造はカリスマブロガーやインスタグラマーが先導するSNSコミュニティに似ている。すんき名人は地域コミュニティにおけるリスペクトを一身に集めるローカルヒーローなのである。
<まとめ>
発酵の発明は、目に見えないミクロの自然と人間の世界をつなぐ関係性のデザイン。裏返せば、発酵の背景を紐解くとその土地に住む発酵とともにある人々たちが、世界とどのように向かい合ってきたかが分かるということになる。
<木祖村でのすんき漬け>
木曽ペインティングスさん制作「すんき」の動画
→https://www.youtube.com/watch?v=GsM6TPiD684