違和感 0ポイントへ続くチャンス
空いていると予想したカフェが、平日よりも混んでいる日曜日です。
こんにちは。
コーヒーが好きです。
なんというんでしょう、
あともう一歩、ぼんやりしているわたしを、少しだけクリアにしてくれるみたいな感じ。
しかし、コーヒーとわたしの0ポイントは
・1日一杯
・午前中のみ
それ以上だと興奮しすぎてしんどくなる。
目がキョロキョロする。
順番が踏めなくなる。バラバラになる。
0ポイントが狭いです。
前回の終わりに「0ポイントへの迫り方」が問いとして出てきた。
0ポイントの発見につながりそうな経験を思い起こしながら、少しずつ、仮説が立ってくるといいなと思う。
集団の輪っかの中には、「道具」や「マナー」や「ルール」なんかもあると思う。
日本という社会もひとつの「集団」だから、大きな、漠然とした「輪っか」はあるんだろうと思われる。
その中で作られている製品・商品は、売れるための工夫として、多くの人に買ってもらう必要があるから、できるだけ多くの人に当てはまるよう設計される可能性が高いでしょう。
もちろん、ごく一部に向けた商品も作られてはいると思うが、すごく高価になったりして、わたしの身の回りに多くは存在しない。
例えば、
これは便利!と思う道具を買った。
一列になってるから、丸いのや四角い囲いの形の洗濯物干しより、幅をとらなく助かる!便利!
そう思ってたくさん買った。
しかし、
毎回の洗濯物を干すタイミングで、わたしはこの洗濯物干しピンチと格闘することになる。
干す前に。
絡まってる。
わたしは考えた。
だってせっかくたくさん買って、前のものは捨ててしまったし、なんとか使いたい。
何が起きている? 考えろ。
絡まる。
その物の作りの問題か。
わたしの問題か。
絡まらないように置いておけばいいじゃないか。
そう考えて離して置いておいても、干そうというタイミングで、ピンチが絡まる。
もう、絡まれている、と言いたいくらいに、毎回、絡んじゃってる。
なぜ。
ううううううううううううううううううううううう
落ち着こう。
イライラしたらピンチの思う壺だ。
気分を平坦に…
さあ、ここは草原だ。
涼やかな風が通っている。 サワサワサワ〜。
ほら、なんにも悪いことは起きてないよ〜。 サワサワサワ〜。
サワサワサワ〜 サワサワサワ〜 サワサワサワ〜
サワサワサワサ… ワサワサワサ… ワサワサワサワサーーーー
う ああああああああああああ
絡まれてるーーーーーーーーー
以前の記事で、
「有機的自律運動の積み重なりが、現在地」
と、仮説を立てた。
前回までの仮説から
もし粒とつながり線の軌跡が記憶だとしたら、わたしとピンチとの応答の運動はざわりに溜まっており、そこからの影響を受けているかもしれない。
ピンチとの応答の軌跡が、「絡まる」という様子で現実に現れてくる。
わたしは毎回、ピンチとの応答の軌跡を、自動で、想起せられているのかもしれなかった。
現実が現れる前に、わたしの中に「絡まる」という現れが起きている。
見えない敵と戦うドン・キホーテか
ふっ
数ヶ月、わたしはこの洗濯物干しピンチと仲良くしようと試みたが、結局、「このモノとわたしという個体の0ポイントは、『絡まる』」という現実が繰り返されるに終わった。
さようなら。
便利に思えた洗濯物干しピンチさん。
きっと、わたし以外の個体には、すばらしい0ポイントを提供しているのであろうピンチさん。
わたしは仲良くなれなかったけど、どちらのせいでもない。
ただ、
0ポイントが、「絡まる」に落ち着く現実だったのだ。
ただそういうことなのだ。
もし、わたしに「集団の輪っか」や「0ポイント」という言葉がなければ、一人でもんどり打つこのような事態にあっても「道具をうまく使えないダメな自分」という言葉が追いかけてくるだろう。
今回、
と最初に書いた。
その中の「道具」について、わたしの経験を例にとって考えてみた。
「0ポイント」は、困った時に、気がつくチャンスがやってくる。
チャンスはゴロゴロ転がっている。
チャンスに気づくにも、自分に合った道具「言葉」が必要。
一般的に流通している言葉だけでは足りない理由がここにある。
自分に使いやすい道具「言葉」、
例え主観的すぎても、ひとりよがりでも、まずは自分と話すための言葉が必要だと感じているのはこのようなワケです。
さあ、次回はどこに行くのでしょう。
そっちはどっちだ !
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