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【ざわり】 「粒」と「星座」の間

さあ 今回も行方と行き方はわからないけど始めてみよう!
そっちはどっちだ !

前回は、「粒」と「星座」の説明を試みた。
今回はその間、「ざわり」について

さっそく寄り道だ。
木の枝って、幹からどんどん枝分かれしていくよね。
土の中の根っこもどんどん枝分かれしていく。
それが自然の当たり前なんだ、ひとの話も行き先も、行方は自然が知っている!
任せて気ままに話してみよう。

「ざわり」っていう言葉を使い始めたのは「粒と星座」と同じ頃、10年くらい前から。
感覚はずっとあったんだけど、言葉にしてみたのはその頃。

例えば

わたしは人の名前を覚えるの、もっと細かくいうと、思い出すのが苦手。
なんだっけ、この人の名前…。
一人で思っている分にはいいけど、わたしの場合は大事に直結している。

出てこない固有名詞

転職が多かったから新たな職場に赴くたびに、0から覚えて呼んでいかなきゃならなかったことも影響していると思う。
人の名前を覚えることは大事なことで、コミュニケーションを円滑にする。親しくなれる。つまり「働きやすさ」「その場に居やすさ」にすごく関係していた。

思い出せないから困っていて、それで、「わたしはどのように人の名前を思い出せているのだろう」と気になった。

なんとなく…   感触を頼りにしているような気がした。

記憶の枝葉(粒の枝葉)

(ちょい寄り道)
名詞って、不思議。
前後の文脈がなくてもそこに屹立していられる。
知らなくても話を交わしてなくても、「我は」と、立っていられる…
名詞さん、なんだか、「強い」匂いがする。

(ただいま絶賛 寄り道中)
この、「文脈を必要としていない感じ」が、わたしに「名前を覚えにくく、思い出しにくく」させているように思うんです。

(まだまだ寄り道中)
わりと、枝葉なんです。
わたしの覚え方、思い出し方。
連続している数珠のようとも言えるかも。
もしくは螺旋。同じようなところをぐるぐるするが、決して同じではない、運動。ポイント、ポイントで、「違い」を孕みながら変化していく運動。
だから、固定している物、確固とした不動のもの、が、なんとなくソリが合わない。

名詞さん
あなたって、固定していて、確固としていて、な感じがビンビンくるんです。

「ビンビン」を目の前にして、わたしはどう接することができるか、ドギマギするんです。
まるで、「正解」があるかのような、「間違えるな」呪文をかけられているような、気になるんです。

心細くうろたえるわたし
この目の前の物は、なに?
この目の前の人は、だれ?
そういう場面において湧いてくるのは、名詞さんを目の前にした時のわたしの身体に刻まれた記憶、粒(痕跡)になったときの感触でした。


ほんとうは、「粒」と「星座」の、間のことについて説明したかったのに、
寄り道から戻れませんでした。

はて…?

では次回はつづきから、
になるかな?

どうかな?

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