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0ポイントが無視される時
前回、「集団の輪っか」と「個人の0ポイント」について説明を試みた。
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集団によって個人の0ポイント範囲は変化するだろうし、個人の中で日内変動で0ポイントは変わるだろう。
例えばわたしであれば
気温差に対して、0ポイントに折り合いつきにくいと感じている。
気温と折り合いがつくまで体がバタバタしている感じがある。朝寒かったと思ったら昼には気温が急に上がった日など。
そういう時の自分を思い起こしてみると、
落ち着きたくて、例えばコーヒーを淹れたり、机の上を整理してみたり、目線が定まらないというか、目がウロウロしている。
実際に目がウロウロしているわけではなくて、わたしがわたしの体が鎮まらないのでどうしたらいいかわからないで困っている状態といえる。
本人は集中したくてやっている行動が、側からみたらかえって注意散漫に見えるだろう。
そういう他者の視線も想定できるから、なるべくスマートに居たいのだけど、どうにも体がバタバタする。
有機的自律運動が活発に活性化しているんだろうと思う。
たぶんだけど、0ポイントがとれてくれば、体のバタバタはおさまるような気がしてる。
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周りの人が同じようにバタバタしていたら、自分もバタバタしていたとしても気持ちの上ではわりと落ち着いていられそうな気がする。
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ところが、周りの人が誰一人バタバタしていなかったとしたら、自分の0ポイントなんかは見えてなくって、みんなの様子(集団の輪っか)に慌てそう。
自分だけがバタバタしている、って、わりとしんどい。「人は一人の人をそんな気にしていないよ」と言われたとしても、迫ってくるのだ、集団の輪っかは。
滞りないときには意識しないで有機的自律運動に任せられている。
困ったとき、違和感がある時、すすめないとき、立ち止まってしまうとき
そういう時に、意識しないではいられない、考えざるを得ない
・星座:一般的に通じる「言葉」や「意味」の象られ、まとまり
・有機的自律運動:見えないはたらき
・意志:自分の思い通りになるという思い込み
これらのどこかに齟齬が起きているということ
と、以前の記事に書いた。
例に出したわたしの場合で言えば、
「気温」と「わたしという個体」との応答が叶い、折り合いがつけばわたしに0ポイントはやってくる。
でも0ポイントはいつまで経ってもやってこない。
周りの人は涼しい顔で過ごしている人ばかり。
わたしはコーヒー淹れたり机の上の書類を上に下に入れ替えたりパソコンの画面を見ているようでみてなくてクリックを重ねている。
落ち着けたら仕事ができるのに、集中できない。
集中できないのは自分の意志の怠慢。なんとか意志を発動させて仕事しなければ。
ああ、ここで、有機的自律運動に任せて草原に寝そべっていられたら…。
なにを夢に浸っている。
さあ、やる気を発動せよ。
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・星座:一般的に通じる「言葉」や「意味」の象られ、まとまり
・有機的自律運動:見えないはたらき
・意志:自分の思い通りになるという思い込み
これに照らして言えば、
・星座:一般的に通じる「言葉」や「意味」の象られ、まとまり
が損なわれている状態(主観)
➡︎周りで涼しい顔をして仕事をサクサクやっているように見える人に「ああ〜、しんどくない?」「なんでそんな平気なの?」「ちょっとわたしが落ち着くまでコーヒー付き合って」とか言える気がしない。共感できそうな人が見当たらない。
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・有機的自律運動:見えないはたらき
の、遂行の難しさ
➡︎ここは仕事場。有機的自律運動に任せて草原に寝そべっていられる状況にない。風のよく通る草原なら、熱もさらっていって体が馴染んでくるかもしれなくても、それ優先していいところじゃない。なぜなら、仕事場は仕事をするところだから。ここに居るわたしは仕事をするはずの人間だから。
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・意志:自分の思い通りになるという思い込み
を発動しようとする。
➡︎ 落ち着けたら仕事ができるのに、集中できない。
集中できないのは自分の意志の怠慢。なんとか意志を発動させて仕事しなければ。さあ、やる気を発動せよ。
と、有機的自律運動に任せることを拒み、思い通りになるように自分を仕向けようとしている。
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どういう回路でそうなっちゃうのか?なんですけど、
集団の輪っかに、自分がはまっていないと感ぜられるとき、わたしの場合は、その輪っかに入らなければ! と無意識になってしまうようだ。
結果的に自分の有機的自律運動を阻害することになっていて、0ポイントがいつまで経ってもやってこない、ということに陥ってしまっているのに !!!
「有機的自律運動」や「0ポイント」という言葉が自分にやってくるまでは、この現象に気がつけていなかった。
自分の中だけで、
「ううう」となっていて、
粒とつながり線でいっぱいいっぱい、星座未満。
有機的自律運動はものすごくがんばってるのに、「自分ダメ」「使えない」みたいな気持ちに襲われるばっかりだった。
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0ポイントは見過ごされる。
背後にあって、後ろに目がついていなければ、発見されない、
ということが起きている。
集団の輪っかに目が奪われていると。
そして、わたしにとって、集団の輪っかは、そこに入れていなければいないほど、意識されてくる、目を逸らすことは許されないようなものだった。
じゃ、0ポイントを発見できるのはどんな時?
次回はこのことについて迫れるだろうか。
いや、まだそこまでわかっていないような気がする。
やっと漕ぎ出した船だ。
どんぶらこっこと流されてみるに任せるか。
どうか。