【仕事編・レンタルビデオ屋】 0ポイントと出会う旅
涼しくなりましたか?
毎朝、外に向かって聞いていますこの頃です。
上着を持って出るのか持たないでエイやっと出かけるのか。
一事が万事、選択ですね。
住んでいる町で働いたのは電車通勤を無理だと思ったから。
いい選択だった。
ただ、近所が職場っていうのは、職場の人に出くわす可能性が高いということで、それは心地よくなかった。
わたしは、わたしでいたかったので。
わたしは、他の人がいると、わたしでいられない病のようだ。
それは今も苦労している。
「馴染めない」という、人生最初の方の苦労は消滅することはない。
他の人がいると心地が悪い。
だが、イコール他者が嫌い、ではないのだ。
やっかいだ。
当たり前にふつうに楽に、他者といられたらいいのに。
どこか自分を調整してしまうクセがある。
というわけで、他者が常に意識される環境というのはわたしにとっては心地よくない。
そこまでは、わかった。
明らかになってきた。
自明のこととなった。
ただし、自覚できてきたのはごく最近のことで、最近までは気がつきたくなかった。
そんなようでは、社会の中で生きられないではないか。
その恐怖が強すぎて。
さて、映画がわたしの拠り所だったので、レンタルビデオ屋さんなら人と会話もできるかもしれないし、わたしもわたしらしくいられるかもしれない、という、ナイスな思いつきによりバイトすることにした。
それでも最初は躊躇した。なぜなら、大切なものほど、嫌になりたくないから特別な場所に取っておきたくなるからだ。
特別な場所とは、ひとりの愉しみ、という場所。
そこに誰も入れたくない。
なにかとなにかが関連づいてしまうところがわたしにはあって、「気にしなければいいじゃない」みたいなことは、わたしに言わないで。
気にしようとして気にしているわけではなくて、出来事同士が勝手に関連づいてしまうのだ。
だから、映画、ビデオ、職場、職場の人、あれやこれや、がたちまち関連づいていく。
映画を観ているのか職場を想起しているのか、混ざってしまって気持ちは純粋でなくなる。
だが、働いて生きていこうと思っていたわたしは、ビデオ屋なら働けるかもしれないという可能性の方を、選択した。
エラかった。
偉いのか?
わたしからしたら、とってもエラかったと思える。
パチンコ屋さんもそうだったけど、特別な技能の必要ない働き方って、例えば学歴必要ないとか資格必要ないとか特別何かに秀でているとかなくても済む働き方っていう意味だけど、そういうところで働いている人って、さまざまな人が集まるから実はおもしろい。
ビデオ屋さんだからって、映画が好きな人ばかりじゃないし、ある監督が好きすぎて殺気立ってくる人もいる。
バリエーショングラデーションなのだ。
そして、問題も起きまくる。
人間て、そういう感じだよね。
ということが当たり前にわかる。
当時はそういう問題にかかずらっているのが無駄なことのように思えて辟易したけど、実際、そういうことでできているよね世の中。
だから、身近に感じられて、見えて、っていうのは、実はよかった気がする。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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