【いのち=応答しあっている現象】これからやってみようとおもっていることにむけて
わたしは、30回ほど転職していてね(いま55歳)、
もうほんと、そんなことはしたくない。
なにが、ダメで、どんなことが起きていて、
故にわたしは仕事から、その場から、去る事になっているんだろう。
それが言葉になればいくらか救われるかもしれないし
ダメな自分…と責めることからいくらか距離がとれるかもしれないし
この個体を自分一人で引き受けるには、わけわからなすぎ
それがしんどい
できれば自分の事情を聞き取ってやりたいし味方にもなってやりたい
だって、社会の中で自分の収まりが悪すぎる、このままじゃ。
それに、とはいっても、ここまで生きてきたんだから頑張っていなかったはずはないんじゃないか
自分の話を聞いてやってもいいじゃないか。
なんでこんなことになってる
どうしていつまでたってもしんどい
たのしいこともあったうれしいこともあった
なのに、なんで、どうして、なんどもそれは繰り返しやってくるのか
「働けない」がやってくる
ことっ、と 動けなくなるがやってくる
できない理由やできない自分ばかりが追いかけてくる
「誰かが誰かに言うような」一般的に流通している言葉しか追いかけてこない
働けない動けない個体と伴走してくる言葉はやってこない
スカスカしててカラカラしててどこにもひっかかりがない
すっべすべ
そんなんじゃ、次の一手の手は滑り落ちる
こんな、谷間に風が吹きすさぶような、こんなことにはもう陥りたくない
10年くらい前から、使っている自分の言葉があって
「粒と星座」
渦中の現象にしっくりくる言葉がない時、紙に図で描いてみる
でてきた図に名前をつけてみる
それを使って人に話してみる
なにかが起きる
なにが起きているかわかりたくて(多くは困っていること)
また図に描いてみる
10年くらいそうやってきた
「粒と星座」はそうやって繰り返しわたしに使われてきた言葉
一般的に流通してない
だから人には通じにくい
だが、自分と話すときはこれでなければならない、というくらい手がかりになってる
伴走してきてくれた
いま、それらがさらに展開を見せはじめた
いのちが「応答」なのだとしたら(わたしはそうだと思ってる)、発信だけじゃなくて応答しようという構えも大事なはず
いまこの瞬間瞬間に起きている応答の、わたしも片鱗であるなら
なにが起きているのか、
自分に応答していく、から始めないとなっておもった
一般的に流通している言葉じゃ間に合っていないところに、「困ってる」は発生しているはず
それが応答の構えのヒントになってるはず
ヒントを辿っていけば、広がりのある広場みたいなところにきっとでられるはずだ
現実の外じゃなくて、目の前の現実にそれは現れてくるはず
信じてがんばってみる
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