【仕事編・コピーライター④ 組織の雰囲気はなにから成っている?】 0ポイントと出会う旅
休日です。
休日もいつもと同じように早起きするつもりで早く寝た。
けれどいつもより1時間半遅く起きた。
わたしはわたしを騙せない。
知ってるぞ 休日なんだ今日は!
家を出たら空が青く雲がモクモク白く、ああ、夏だ。
空を見上げて気持ちがよかった。
前回は
と最後に書いた。
「社長」「副社長」と、この記事を書くのに便宜上言っているが、実際は名字で呼んでいた。
〇〇さん、〇〇さん。
社長はゴルフのパット練習を目の前の河原でするし。
デザイナーチームはいつでも社長への軽口を目の前で言うし。現場は忙しさを隠さないし、「あーーーー」って、やっちゃった時は声に出る。
誰が何の作業を今しているのかは細かくは把握してないけど、明らかにみんなみっちみちに忙しいことがバレている。
それぞれがそれぞれの得意分野を知っているから作業がどのようかは予想がついているみたいに見える。
その上でひとりひとりが目の前の作業に向かっている。
2階のデザインチームのそういう、いつもバタバタ忙しく、でもひとりひとりが得意も不得意も、すごさもやらかしも、混ぜ混ぜで、でもそれで当たり前、みたいな雰囲気がうらやましかったし、いいなあ、いいチームだなあ、って見てた。
1階はぜんぜん雰囲気が違って、副社長とわたしだけの部屋は、シーーーーーン、としてる。
たまに居眠りしてるんだろうな、っていう本がパタっと閉じる音がしたり。
けど、わたしにはそれが心地よかった。
コピー。文章に成るには、「余白」が、欠かせない。
みっちみち、では、動かないのだ。
「粒と星座」の言葉でいえば、粒になりつながり線になり、のはたらきは、はたらいてくる余白があってこそ、動くのだ。
ベタベタしていないのに、この事務所のメンバーは、みんなが家族っぽい、いや、この事務所内に限らず、出入りしている業者の写植さんカメラマンさんイラストレーターさんたちも含めて、大きな家族みたいなチームだな、と感じた。
家族、っていう言い方すると捉えようによっては「ホット」な感じを与えるかもしれないけど、そういうわけでもない。
「雑多」な、感じ、が家族っぽい。
気心知れている、って感じ。
社長と副社長の感じは、そのまんま、影響していたと思う。
社長と副社長は、混ざり合わない。
請け負う仕事である「広告デザイン」という、向いている方向は同じ。
だからって、なにもかも同じでなくって構わない。
そんな当たり前のところを、譲らない、そんな感じだった。
ともすれば、ひとつの集団や組織になれば、なあなあに馴れ合うことが自然のように思えるけど、独特な緊張感があった。
「譲らない」みたいな感じが、いつも、あった。
どうやって、折り合いをつけていたのだろうか。
今更気になる。
トップの2人がそうなのだ。
その近くにいる他のメンバーだって、「譲れないところがあって当たり前」と、自然に思えているんじゃないだろうか。
・目指すゴールは共有している
・誰かの顔色を見ない
・とにかく自分のやり方で作業にとりかかる
・失敗はする
・軽口もたたく
・社長も副社長もふつうに1人の人間
・デザイン部門はデザイン部門の、コピーライター部門はコピーライター部門の適切な環境がある
事務所の実際の状況を書き出してみると、
「粒と星座」の言葉でいう、有機的自律運動の活性化が担保されているな、とわかる。
「粒と星座」の言葉に言い換えてみると、
・目指すゴールは共有しているけど、唯一で絶対な強い集団の輪っか、は存在しない
・誰かの顔色を伺って「集団の輪っか」が形成されることは促進されない
・自分じゃない誰かのやり方に自分を沿わせない
・失敗は当たり前(有機的自律運動の行方は誰も知らない)
・その人の見え方が、軽口にのっかって全体で共有されている
・役職で他の社員が遠慮することはない
・紙の上に必要な情報を並べてデザインを考えるのに適している環境と、文章が成っていく環境とは、ぜんぜん違っていて当たり前
というように言い換えてみた。
これらは、刺激の素と接し、拾われ、粒になり、つながり線になってはたらいていく有機的自律運動のはたらきを邪魔しない、成るに任せる部分が担保されている、と言えないだろうか。
映像制作会社から出向して担当した、地方局の朝の報道番組のタイムキーパーの時と、なにがどう違うだろうか、
比べてみるまでには至らなかったが、次回以降で続きができるだろうか。
どうだろうか。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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