【仕事編・「あったこと」は思い出せていない】 0ポイントと出会う旅
前回は、レンタルビデオ屋で自分勝手に棚を作った経験を書いた。
そんな棚を作れなんて指示、上から来てないし、むしろ営業中に広い面積を使えなくしての作業で営業妨害。
資本主義つまり利益に、反しているかのような、多数のニーズより数字に出てない「誰か」、つまり自分の「良い」と思える基準で商品を陳列する、という暴挙。
店長としての立場を利用しなければ実現できないし、行使した。
数字に現れてこない見えない「誰か」は、見えている数字に現れている「ニーズ」に合わせた商品を並べていれば、いつまで経っても見えてこない。
そのことにわたしは憤っていたのだ。
ところが、時代は変化した。
実店舗だけが「ニーズ」を拾う場所ではなくなった。
インターネットで世界に「目」が無数にある。
「目」と「目」が、「感覚」と「感覚」が、つながりようが出てきた。
前回に書いたこのような感覚は、少し前の時代であれば
「なに言ってんの全然わかんない」とスルーされるだけだ。
「ひとり」だけど「つながっている」「混ざっている」が、今は当たり前にある。
「転職30回」を恥じていたわたしが、書き始めた「過去の仕事の経験」は、書き始めた当初は「なぜ、辞めるに至ったか」の「原因」を書くことになる気がしていた。
ところが、書いているうちに、どうもこの30年で急速に時代が変わってきていて、転職でいろんな場に移っていくことで自分の視点が変化していることもあって、「原因」みたいなものに焦点があっていない。
どんどんズレていく。
過去の「原因」ぽいこと、そんなこと、今更書こうとしたって、もやは思い出せない、という気持ちに至った。
これは、書いているからこそ、なのかもしれない。
経験を書くまでは「転職30回=ダメ」という図式が固定していた。
「ダメ」って思っているうちは本当はどんな経験だったか、詳細が掴めない。
詳細を書こうとして初めて、「ダメ」の外側に出る。
「ダメ」でもいいし、人から「転職30回って、ダメでしょ」とジャッジされても最早関係ない。
わたしはもうそこにはいない。
じゃ、どこにいるの?っていうと
「ダメ」の外にいる。
「ダメ」の中にいる間は、ずっと「ダメ」を重ねていっているのだ。
「粒と星座」の言葉を使って言えば、「つながり線」の更新をしている。
実は、過去の転職に至った時の「粒とつながり線」の運動は遠くなっているのに、
「転職はダメ」という思考の運動の軌跡が繰り返し思い出されている。
「思い出し」は、過去を思い出しているのではない。
新たに「転職ダメ」という思考の運動を刻んでいる新たな行動なのだ。
思い出して書いてみようとすればわかる。
繰り返し思い出しているつもりの「それ」は、
「思い」「思考」を思い出しているのであって、「出来事」そのもの、ではない、ということ。
どこにも行き場のなかった「思い」「思考」が、漂って亡霊になっている。
誰にも拾われなかった。
そして、誰にも、という時、その中には「自分」、が本当は含まれている。
やっぱり、ホラーですね。
こわい。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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