【仕事編・コピーライター】 0ポイントと出会う旅
木漏れ日がテーブルの上に映ってゆれている。
キラキラしている。
それだけで気分がふわっとなる。
前回までに、学童保育での経験を書いた。
30年前の当時、まだ学童保育という仕組みが当たり前ではなく、地方都市であったことも関係しているかもしれないが、給与が高卒のわたしの初めての職場に比べても、半分以下だった。
転職に失敗して次に向かう為に給与は少なくてもやりたいと思って始めたのだが、やはり長くは続けられない。
給与が半分以下であることは、指導員が結婚している人ばかりだった理由にも通じる。
生計を立てるための給与ではなかった。
市内の学童保育と連携をとりながら勉強会や話し合いを常にしていたが、行政の補助が充分に整ってくる先が見えない。
30年前には、地方都市ではまだまだ、共働きやひとり親は少なく、そうだとしても学童に子どもを通わせることは子どもがかわいそう、というような意見さえあった。
祖父母が同居している家も多かったのである。
そういう背景もあって20代で未婚の指導員は市内中を見てもわたしだけで、珍しがられた。
高校演劇部の先輩が、知り合いがコピーライターを探している、という話をもってきてくれた。
コピーライターをできるかどうかより、わたしが定職につけていないと思って持ってきてくれた話だった。
とりあえず、先輩の顔もあるので、一度その会社の人と会ってみましょう、という流れになった。
初めて会う感じの人に会った。
それまでに出会ったことのない感じ。
広告デザイン事務所で、デザイナーが4名ほど、コピーライターが1名、写真や写植は外注、というような事務所だった。
川沿いに建つビルの1階と2階で、わたしはすごくその建物が好きだった。
大きな窓から空と雲と川と緑とが見える。
気持ちがスッとすくような場所だった。
コピーライターなんて、どんな仕事かも知らずに、わたしは雇ってもらうことになった。
社長がデザイナーで、デザイナー陣は2階、
副社長がコピーライターで、コピーライター部門は1階、というふうになっていた。
わたしは副社長のコピーライターの人と、2人のオフィスで自分の机とパソコンを与えられた。
窓と反対側の壁一面には本棚。
小説も多かった。広告年鑑もずらりと揃っている。
「好きに読んでいいよ」とのことだった。
こんなことって、ある?
わたしは本が好きだったし、窓と空と雲と川と緑が好きだったし、人と交わるより1人が楽だったし、ぜんぶがわたしの「心地いい」だった。
副社長とは壁で仕切られているから直接目線を合わせることもない。
口数の少ない人だったから、ほとんど会話もしない。
こんなことって、ある?
ぜんぶ、わたしの「心地いい」だ。
初めてのわたしの仕事は
「事務所に来るお客さま用のコーヒカップセットを買ってきて」だった。
「このお金で好きなの選んでいい」「センスは任せる」
こんなことって、ある?
会社のお金でわたしがすることで、わたしの判断で、やっていい。
わたしは自分が信用されることがすごくうれしかった。
そういえば、こんな信用のされ方、されたことなかったんじゃない?
わたしは、食器を選びに街へ出た。
すごくウキウキしていた。
好きに、とは言われたけれど、慎重に、高すぎず、どんなお客様にも邪魔にならない、なにより会社の建物のシンプルさに似合う、飲みやすい、そういう食器がいいなと考えた。
すごくシンプルな白いコーヒカップを、わたしは選んだ。
誰にでも合うし、何にも染まらない、というような。
すごく、満足だった。
帰ってくると、それを見た副社長は、まるで「合格」というような顔をしながら「へー」と言った。
そのこともすごくうれしかった。
間違いでも正解でもなく、「ああ、あなたはこういう選び方をするのね」という了解のような、「あなたのその感じ、わたしは受け入れられる範囲です」と言われているような。
わたしはここで、「わたしで居ること」を、求められるのだ、と思った。
「粒と星座」の言葉で言えば、わたしの粒となりつながり線となりのはたらきを、どうぞ、存分に、と思われている。
これからやっていく仕事が、そういうことの先にあるんですよ、と、言われた気がした。
身震いするような、初めてのおつかいであった。
※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。
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