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【仕事編・パチンコ屋さん③ 言葉じゃなくて嬉しい感じ】 0ポイントと出会う旅

前回は、パチンコ屋さんでの記憶を手繰り寄せると、人の短い動きの思い出しが起きることを書いた。

もう少しエピソード的なことを思い出せるかな。
と、試みてみるが、やっぱり、人のことが思い出される。
それはきっと、いろんな人がそこに集まっていたからだろう。
毎日朝から並んでいる常連さんがいる。
素性は知らない。聞くこともない。
それでいいのだ。十分なのだ。

アルバイトのわたしの作業自体はごく簡単な作業だ。
当たりが揃えばパチンコ玉を入れるケースをサッと取ってその台へ走る。
パチンコ台の列の間に立って、どこにでも走っていけるようにスタンばっている。

フィーバーが起きれば台の上のランプが点滅しフロア主任のマイクが巧みにアナウンスする。それは小さなお祭りが起きているみたいだった。
わっしょい、わっしょい、わっしょい、わっしょい
フィーバーを当てた人は一瞬で神輿の上に立っている。
神輿を先導する主任はマイクで誘導していく。
周りはその様子を音と光で感じる。
ホール全体がわっしょい、わっしょい、わっしょいと上がっていく。
続いて他の台でフィーバーが出ると、あっちもこっちも神輿が立ち上がって、神輿同士が競り合っているようになる。
おめでとうございます、おめでとうございます、落ち着いた声で自分は上がりすぎず、状況を伝えていく主任のマイク。
あおらなくていいのだ。
祭りは。
神輿の誘導それ自体は落ち着いていなけらばならない。
神輿に立っている人は当たっている間、席から離れるわけにはいかず、大喜びで踊り出すことはできない。手を緩めず、当たりに向かい続けなければならない。
主任のマイクが状況を伝えていく。
「そう、間違いなく、今、自分は当たっているんだよね。みんなが注目している。けど、落ち着いて、打ち続けるのだ」
実況することで台を打つ人を見守りつつ、少しでもフィーバーが続くように。大暴れしすぎて神輿から落ちてはならないのだ。

ホール全部が湧く。静かに、それぞれの胸の内で。次は自分かもしれない。常連客であれば今フィーバーしている人が昨日までやられっぱなしで内心へこんでいることを知っている。ああ、あいつ、出やがった、と、悔しいながらも欠片くらいはうれしさが混じっている。
そんな様子を、その場で感じられるのが、わたしは好きだった。
おめでとうございます。
わたしはそう、走っていって、心から喜んで、玉を入れるケースを渡す。目と目があって、「ありがとよ」って、目が言っているのが伝わってくる。例えタバコを片手にうぜえよって顔をしていたとしても。
毎日、同じホールで、同じ時間を共有しているから伝わってくるこの嬉しい感じ、わたしは好きだった。

わたしはパチンコ屋さん、好きだった。
いつかは違う仕事に就きたいと思いつつ、だけど、好きだった。
それはきっと、誰にわかってもらえなかったとしても、自分の中に確かに感じられる「うれしい」があったからだと思う。



※ここまでに出てきた言葉はまとめています。
ひとりよがりな主観の言葉です。

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