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一ヵ月経って、梅雨も明けて

noteのアカウントを作って、一ヵ月が経ちました。
3行日記なら毎日の投稿も可能かなと考えていたんですが、結局ぽつぽつと空くことになりました。無理はしません。義務になってしまうと、自分の性格的に却ってやる気が失せていきそうです。

noteの世界については、狭いようで広い、広いようでうっかりすると非常に狭い、深呼吸して見ればやっぱり広い、そんな場所だと感じました。

最初の数日間は、スキの数もフォローして下さる方も多かった、けれど、次第にそういったリアクションは減っていきます。
ああ成程、「興味がある」「面白い」という意味よりは(そのような意図の方もいらっしゃったのならば本当に嬉しい)、「開始おめでとう、ようこそ」のご祝儀の意味合いだったのかな、と思い至りました。
あとは、自己啓発や何かの方法論について発信をされている方が圧倒的に多いな、という印象が暫くありました。偶々なのかも知れませんが、フォローして下さった方にそういった方が相当数いらっしゃった気がします。趣味娯楽というより、啓蒙、営業といったところでしょうか。noteというのは、そういう発信、表現に非常に向いたツールなんだなあと今更ながら感じました。と同時に、私は場違いなことやってるのかな、とも一瞬考えました。

けれど、よくよく見まわしてみれば、自分の趣味の事、日常を綴っている方もいらっしゃるんだと分かってきました。私より人生の先輩の方、お若いそうな方、色々です。何れにせよ拝見していて楽しいし、興味を覚えるし、学びもあります。
──面白いなあ、こんな生活があるんだ、おお、この方の料理すごい!──
そんな風に感嘆し、そしてじゃあ自分も好きなこと書けばいいんだな、と理解して、今日に至ってます。

……何度か綴っていますが、私はもう半世紀以上生きています。ですので、生きる為のヒントが欲しい、というような煩悶の時間は過ぎてしまいました。勿論悩みが無い訳ではないし、死ぬ時まで勉強は続くという認識ではいるのですが、大体もう何をしたら良いかは分かってくる。──結果、そういった系列の記事に対しては反応が薄くなっている部分は否めません。どうぞご容赦くださいませ。
また、じゃあ自分はどうやってその境地に至ったかという話も出てきますが、『自己啓発本が要らなくなる方法』を書くのは矛盾の極みじゃないかという気もします。敢えていうなら「納得したら要らなくなる」んだとは思うのですが。

もしかしたら文章を綴ることについても納得したら「やめよう」となるのかも知れません。或いは他のやりたいことが出来てくれば筆が止まるんだろう予感もしていますが。だけれど今は隙間時間にキーボードを叩くのが楽しい。今しばらくは、ちょこちょこと投稿していけたらいいな、と思っています。