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「風が嫉妬を運ぶ午後に」

春風がふたりを通り抜けた

教室の窓際に立つと、春の風が吹き抜けていった。薄曇りの空の下、校庭ではサッカー部がボールを追いかけている。その中に、遥の姿があった。
遥がボールを蹴ると、軽やかに弧を描いてゴールネットに吸い込まれる。歓声が上がる中、彼の周りにはチームメイトたちが集まった。その中に、あの子もいた。ショートカットの似合う、明るい笑顔の彼女。

私の目は自然と二人に向かっていた。遥が笑いながら、彼女の肩を軽く叩く。それだけのことで、胸の奥がじくじくと痛んだ。

「どうしたの、葵?」
背後から声をかけられて振り返ると、クラスメイトの茉莉がいた。彼女の明るい声に、私はぎこちなく笑って答えた。
「なんでもないよ。ちょっと風が気持ちよくてさ。」
茉莉は首をかしげたけれど、それ以上は追及しなかった。

本当は、私も遥の隣に立ちたかった。私の知らない遥の一面を、あの子が知っているのが悔しかった。私が見たことのない笑顔を、彼が彼女に向けているのが悲しかった。

放課後、私は帰り道で偶然遥と鉢合わせた。制服の袖をまくり、リュックを片肩にかけた彼は、校門の前で風を受けていた。
「あ、葵。部活見てたの?」
そう声をかけられて、私はどう答えていいのかわからなくなった。心臓が跳ねる音が耳まで届きそうだった。
「少しだけ。すごかったね、シュート。」
「ありがとう。でも、俺のことより、そっちの方が風が気持ちいいんじゃない?」
遥はそう言って、私の横に並んで歩き出した。その仕草に、また心が揺れた。

あの子のことを聞きたいと思った。でも、聞いたらきっと、彼が笑って答える。その笑顔を思い浮かべるだけで、胸の奥がきゅっと締め付けられるようだった。

春風がふたりの間を通り抜ける。その風の中に、遥の声が優しく響いた。
「葵、いつか一緒にどこか行こうよ。遠くても、近くてもさ。」
私は答えられないまま、ただ風の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

その春の午後、遥と私の間には、静かでやわらかな距離があった。だけど、私はその距離を縮める勇気をまだ持てなかった。風がまた吹いて、彼の声を遠くに運んでいくような気がした。

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