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5月15日のJリーグの日から思い浮かべる自分にとってのJリーグの思い出

Twitterを何気なく眺めていると流れてきた投稿があった

1993年の5月15日にJリーグは開幕した。当時私は小学校1年生だった。

滋賀県で生まれ、母子家庭でゆっくり家族の時間を取れなかった家庭環境

兄の影響で小学生4年生頃からサッカーをしていたが、喘息で小学校の大半を病院で過ごした自分にとって、スタジアムでの思い出は正直に言うとない

ただ、Jリーグに縁遠かった我が家にもオリジナル10のチームマスコットキャラクターが並ぶカレンダーのパズルがあった

今では考えられないくらいのデザインの鹿島アントラーズマスコットが描かれたスポーツリュックがお気に入りだった。そのリュックを背負っていつも向かっていた

兄はジュビロ、僕は鹿島

スポーツと私たちはすごく身近に結びついている。サッカーに取り組んでいた私たち兄弟に家族が与えてくれたのは兄がジュビロ磐田の帽子。そして僕自身には鹿島の帽子だった

鮮やかな水色と、深い色の赤の帽子。当時はその帽子を被ってリュックを背負うだけでもワクワクしたことを覚えている

当時から運動神経も平凡で、自分の何倍も上手い友人を見てきた自分にとってJリーグは正直遠い存在でしかなかった

単純に、兄がかぶっていたジュビロ磐田の帽子を羨ましいと思うだけ

何となくそれだけだった。そして、病弱だった自分は遠征先で夜に発作が出て強制送還されて入院。表情の変わらないマスコットキャラクターを見て、何とも言えない気持ちになった事も覚えている

それでもなぜかサッカーを続けた。周りに恵まれていたという部分と、途中で辞めることに対しての変なプライドがあったのかなと今振り返ると思う

小学校、中学校時代にエースと呼ばれた選手がいた

足が速く、どうすればそんなシュートを決められるのかなと思うくらいの強烈なシュートで何度もチームを勝利に導いた

彼は中学進学と同時に部活動ではなく、京都サンガの育成組織に加入した

当時は憧れもあったと思う。彼が小学校の選抜に選ばれて、静岡県に遠征に言った際に買ってきてくれたお土産(ジュビロ磐田のマスコットキャラクタージュビロくんのスプリングフィギュア)を感動して大事に大事に持っていた

そんな彼も、成長が小学校高学年が恐らくピークだったのか。プロになることはなかった。当たり前だけど、それくらい厳しい世界だという漠然とした気持ちを抱いたことを覚えている

1998年のワールドカップフランス大会

滋賀県の小さな小学校でも、盛り上がりは伝わってきた

担任の先生はサッカー雑誌を片手に熱弁をふるい、TVでは熱狂した様子をドキドキしながら観戦した記憶が残っている

NHKで視聴率60%以上超えるくらい、多くの人たちが日本の初出場を祝福した。強豪のアルゼンチンやクロアチア、ジャマイカ相手に勝利こそなかったが、日本が世界と戦っているという姿に感動した

小学校3年間、中学校3年間とサッカーに取り組んだ

中学は顧問の先生から言われて、実力では下である自分がなぜかキャプテンを務めた

上手くはなかったが必死だった。自分の生活とJリーグは決して近い存在ではなかった。地元にはスタジアムもない。隣町にサッカーを生で観戦しに行く機会もなかった

存在は知っている。チームが増えていくこと、新しい取り組みをしていること。ただ、それはニュースで聞くレベルの情報でしかなかった

兄の友人の弟がヴィッセル神戸に入団したり、身近でJリーグに関わるニュースはあったがそれでも自分事としてまで熱を帯びる事なく大人になっていった

地元にJリーグがあったら

もしかしたら今とはまた違った感情を持っているのかもしれない

実際にバスケットボールのプロリーグ滋賀レイクスターズがあり、滋賀県ではバスケ熱の向上を実感できる

もし、地元にJリーグがあったら?

ただ、5月15日の各地元で盛り上がり熱、サポーターの想いを見ていると少なからず何か影響はあった気がする。そして、こうした想いを持った人が実際に実現をさせていくのだと思う

5月15日に担当したレノファ山口FC対SC相模原

両チーム最初からJリーグだったわけではない

レノファ山口FCは、地域リーグである中国リーグを戦い、JFLを経て2015年からJリーグに参入した

SC相模原は県リーグ、関東リーグを戦い、JFLを経て2014年からJリーグに参入した

本当に数年前の出来事だ。そこからファン、サポーターがつき、チームや選手を支えている。このコロナ禍においても、雨の中でも、風の中でも画面の前でも、スタジアムでも選手たちと一緒に一喜一憂していく

Jリーグが作成した動画を見てもその思いは紡がれていることが理解できる

サッカーだけ。というつもりは毛頭ない。スポーツ、そしてもちろんスポーツ以外でも人を感動させ、力を与えてくれる存在はたくさんあると思う

ただ、サッカーが、Jリーグがこれまで多くの感動を、勇気をたくさんの人に与えてきた。その事実は変わらない。そしてこれからも多くの人たちにとって”支え”になっていくのだろうと思う

病弱だった幼少期、挫折ばかりの学生生活

アナウンサー試験にも落ちて、楽天に入社し、友人と起業し、改めて自分の人生について考えた

「自分の好きなことは。自分は何をしたいのだろうか」

フリーアナウンサーとして実力も、何もなかった自分が2017年の熊本対讃岐のJ2開幕戦を担当し、人々に声を届けることができた

あれからJリーグ公式映像DAZNで実況を担当させていただく機会をいただき5年目を迎える。まだまだ日々反省だらけではありますが、それでも少しでもこうした歴史や想いを紡いでいけるように準備して、実況席に座る

Jリーグに触れるのが遅くても

周りほど強い熱が過去無かったとしても

いいじゃないか

いつでも、いつだって、熱くなるタイミングは人それぞれだ。周りに何を言われても、それでいいと思う。自分らしく、好きなもの、熱くなれるものに時間や思いを注げばいい

5月15日。Jリーグ誕生日おめでとうございます。また今年1年間、一緒に成長していきましょう。





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能政夕介(nose yuusuke)
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