40歳、危機を転機に! #21
■note#21
この記事は、いつも周りを巻き込んで、楽しい企画を立案してくださるドイさんの緩募の応募記事です。
もうすぐ40歳のあなたも、すでに40代のあなたも、もうすぐ50歳に手が届くあなたも、一緒に読み進めてもらえると嬉しいです。
はじめに
人生には、多かれ少なかれ、誰もが直面する様々な節目があります。20代のクォーターライフクライシスや40代のミッドライフクライシスはその典型ではないでしょうか。
20半ばから30代半ば、社会生活に慣れ、少し余裕が出てきた頃、漠然とした将来への不安や理想とのギャップに苦しめられます。
40代から50代にかけては、マンネリするほどに、家庭も仕事も安定期に入り、「自分の人生はこれで良いのか?」と壮大な問いに悩まされます。
また、男女ともに、体力や容姿の変化によるエイジングストレスも加わり、「何とかせねば!」と、全てをリセットして、やり直したくなる衝動にかられます。
節目のクライシスは、心身や環境などの「変化」だけでなく、「変化のなさ」にも要因がありそうです。
私が転職したのは、26歳と44歳。
今思えば、この「変化のなさ」を要因とするクライシスにハマっていたのかもしれません。
クライシスは、本当に「危機」なのか?
ただ、ここで重要なのは、これらのクライシスが、実は、新たな可能性への扉を開く転機であるという視点。
私の場合は、26歳の転職で、営業職から事務職へ、44歳の転職で、事務職から専門職に切り替えました。
学生時代の就職活動も、転職時の就職活動もどこか夢見る夢子ちゃん状態のふわふわ系。
しっかりと将来を見つめて、きっちり計画どおりに進めるといった綿密さは皆無でした。
とはいえ、なんとなく夢は描き、なんとなくこうしたらいいかな?と、試行錯誤はしていました。
事務職に転職した際も、漠然と「汎用的な資格を取ろう!」と考え、実務上でも困ることが多かったため、社労士資格を取りました。
社労士資格との出会いは、ハローワークの資格冊子。何気なく眺めた冊子が今の仕事につながっています。
42歳、35歳転職限界説に少しビビりながらも、15年以上勤めた会社を退職。退職の大義名分は、海外派遣プログラムへの参加でしたが、コロナ禍で足止め。
派遣の有無が決まらぬまま、時が過ぎることに恐怖を感じ、飛び込んだのが、いつもお世話になっているSUNABACOでした。
再就職までの間、SUNABACOでプログラミングやデザインを学び、ライティングやデザインのお仕事にチャレンジしたり、日本語教師や社会教育士のプログラムを受講したりしていました。
そうこうしているうちに、海外派遣が中止に。起業にも興味があり、創業塾にも参加しましたが、腹が決まらず、転職を決意!
転職エージェント4社とハローワークを利用し、当たって砕けろ精神で転職活動スタート!
社労士法人と社労士事務所の転職に照準を定め、リサーチしました。
現職の事務所は、登録外の転職サイトに掲載があり、ホームページをくまなく読んだのを覚えています。何社か並行して応募していましたが、なぜだか常に気になっていたのが、今の事務所です。(運命の出会いだったのかな〜?)
社労士事務所の経験者枠でしたが、どうしても気になって、未経験でトライ!コロナ禍、さまざまな社労士向けセミナーや関連する別分野のセミナーを受けていたため、自身の働くイメージや方向性が決まっており、事務所の方向性との合致を訴求し、入社にいたりました。
新社会人の時には想像していなかった光景です。
ちなみに、少しだけ事務所自慢をしますと、弊所は少数精鋭。かゆいところに手が届く配慮と高い事務処理能力をもち、IT系にも強いスーパー事務員、ムードメーカーで信頼度200%の短時間事務員、すべての対応を真似したくなる先輩社労士、そして、何といっても、女性として、社労士として、上司として、経営者として、全方位でロールモデルにしたくなる美人所長がおり、離職理由No1に輝く人間関係もかなり良好といった、とっても恵まれた環境です。お陰さまで、新たなチャレンジにつながるお話もあり、幸せなミドルシニア生活を送っています。
ここまで私のクライシス期の話をしてきましたが、クライシスが「新たな可能性への扉を開く転機」になることを少し感じとっていただけたでしょうか。
苦しみましたよ!
悩みましたよ!
40代にして、何の戦略もなく、ないないづくしで無職になったのですから!
でも、だからこそ、今があると思っています。悩まない状態だったら、今でも無職で社会性を失っていたかもしれません。
SUNABACOのセミナーでは、代表のなかまこさんが、「これやらなきゃ死ぬ!と言われたら、みんなやるでしょ!」と発破をかけてくださいます。
そう、クライシス期は、本気スイッチを押してくれる絶対的な転機なのです。
クライシスは怖くない!
クライシス期を迎えたとき、多くの人が恐怖や不安を感じます。しかし、これを機に自分自身を見つめ直し、新たな道を探求することは非常に価値があります。
40代のクライシスを迎えたとしても、それは決して終わりではありません。むしろ、新たな自分を発見し、人生を再設計する絶好の機会です。
論語にあるように、この時期は「不惑」の時。自分自身の信念に基づき、これまでとは異なる人生の道を歩む勇気を持つことができます。
40歳の異称である初老。老年に近づき、身体が衰えてくる時期を意味します。確かに、衰えは感じますが、これは平均寿命が60歳くらいだった頃のお話。人生100年時代となった今では、60歳くらいが妥当な感覚に変化しています。
年齢にまつわる概念も、時代とともに変化します。自分を年齢の枠に当てはめ過ぎずにアクションを起こすことで、自ずとクライシスをクライシスと感じずに、この時期を乗り越えられるように感じます。
40代で目指すところは
私には目指していることが2つあります。
それは、本多静六さんの著書『私の財産告白』にある「職業の道楽化」と「晴耕雨読」の生活です。
仕事をただの生計を立てる手段ではなく、自分の情熱や好奇心を満たすものと捉えることができれば、人生はより豊かなものになります。
ライスワークをライクワークやライフワークにしていくのです。
好奇心旺盛な私の喜びは、未知を既知にした瞬間の「アハ体験」にあります。
現職はそんな体験の宝庫!また、「働き方改革」を推進する立場の職業でもあり、自ずと「多様な生き方」についても考える機会が多くあります。
働くと生きるが、境界なく融合していく形が理想です。
「晴耕雨読」は、高校時代、色紙に「晴耕雨読」と書くほどに、私の理想が詰まった言葉。
晴耕雨読の生活を叶えるべく、環境を整えようと考えています。
二度のクライシスを経験し、思うのは、「なんとかなる。なんとかする。」を合言葉に、常に新しいことに挑戦していくことが、クライシスの解決策になるということ。
大小問わず、「毎年一つは新たな試みをする」と自分に誓っています。この誓いだけは、破ったことがありません。
変化の激しい時代、トランスフォーム(変身)ではなくメタモルフォーゼ(脱皮)を繰り返すことが求められています。そのための養分は、常に新旧の新陳代謝を促す「新たな挑戦」にほかなりません。
脱皮するために必要な養分を蓄え、「職業の道楽化」と「晴耕雨読」の生活を叶えようと思います。
おわわりに
40代のミッドライフクライシスは、怖れるべきものではなく、むしろ積極的に受け入れるべき転機です。
不惑の年と聞いて、迷いが消えない自分はまだまだだと嘆く必要はありません。
この時期に自問自答し、本当にやりたいこと、成し遂げたいことを見つめ直すことが、私たちの「不惑」をつくっていくのですから。
【参考】
K◎T◎H◎GIからのメッセージ
いずれは、この身も滅びる。
やっている点が線や面となり、つながっていく。
どこにたどり着くかは、神のみぞ知る。
安らかな永遠の眠りがおとずれるその日まで、戦い抜こうぞ、同志よ。