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どこまでを仲間とするか問題

どこまでを仲間としましょうか。
これがなかなかな問題だと思うのです。

例えば、捕鯨問題を含めた動物愛護についてはどうでしょう。
「鯨を捕るな!」と怒る方々がいます。
でも鯨を捕る側は「いやいや、生態系の調査なんです。むしろ鯨は増えているんです。しかも、昔から鯨を食べていたんです。文化なんです。」と説明します。
でも「鯨を捕るな!」と怒る方々はその正論ですら受け付けてくれません。
なぜならば、鯨は彼らにとっては仲間だからなんです。

円を書いて図にしてみると分かり易いかも知れません。
まず、円を書いてその中身を「自分達」とします。その周りを更に円で囲います。その円は「色々な人間」ということにしておきましょう。
「色々な人間」は「自分達」の仲間ということになります。同じ人間ですので。なので、「色々な人間」を捕らえて食べるということは当然あってはならないのです。
では、「色々な人間」の円の外側に更に円を書いてみましょう。この円を「ペット等の愛玩動物」とします。愛玩動物は我々人間の仲間です。当然、食べる対象ではありません。また、ペット等は家族であると考えていらっしゃる方々も沢山います。
ここまでは、現代に生きる世界中のわりと多くの人々が共感出来るのではないでしょうか。
問題はこの先です。
「ペット等の愛玩動物」の円の外側を更に大きい円で囲います。その円を「クジラやイルカ」とします。
その「クジラやイルカ」の円の外側に更に円を書きます。その円を「ウシ、ブタ、トリ等の家畜」とします。

「鯨を捕るな!」と怒る方々は「クジラやイルカ」の円までを仲間だと考えています。
一方の鯨を捕る側は「ペット等の愛玩動物」までが仲間だと考えているわけです。

因みにヴィーガンと呼ばれる方々は「ウシ、ブタ、トリ等の家畜」も仲間だと考えています。そして更にその外側の円の動物達にもその思いがあるわけです。

どこまでを仲間とするかの問題は、これという正解がないだけに本当に難しいと思います。明確な境界線をひくことが出来ません。なので、どちらかが折れるか、または、なんとかしてお互いの妥協ラインを見出だすしかなさそうです。

この「どこまでを仲間とするか問題」は、他の問題、例えば民族問題なんかにも当てはまるのではないかと思います。

因みに、かな~りど~でもいい「どこまでを仲間とするか問題」として、麺の仲間分け問題があります。
例えば、春雨は麺の仲間とすべきかどうかといった話です。
春雨も他の麺と同じくデンプンが原料なので麺の仲間としても良さそうな気はいたします。
では、春雨に近いくずきりやマロニーちゃんはどうなのでしょうか。カップ麺やカップ春雨はありますが、カップくずきりやカップマロニーちゃんなんてものはあるのでしょうか。
そして、その更に外側の円になるであろう糸こんにゃくやしらたきは麺の仲間といって良いのでしょうか。
糸こんにゃくやしらたきは、もともと芋です。こんにゃく芋です。でもデンプンではなくグルコマンナンです。でも、最近では「ヘルシーな麺」みたいな扱いでもあります。
悩ましい問題ではあります。
でも、こちらの問題はホント~にど~でもいい話でもあります。

ホント~にかな~りど~でもいいですね。麺の仲間の話。

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琴花酒
ええっ! ホント〜ですか。 非常〜に嬉しいです。