グッバイ、2020年
2020年の目標がこのままでは2021年に持ち越されてしまう。カレンダーが替わっても、目尻にめっきりシワが増えても、まるでデジャブ?に何度陥ってしまえば現実に気がつくのか。いつまでたってもおんなじ地点に止まったままじゃないのかと気がついたのが先週。いまさら?おっしゃる通りです、やっとね。
「2021年はどんな1年にしたいか?」
2021年の目標を新しい手帳に書き、新しい手帳にTO DOの引き継ぎを記入しながら、2020年の1枚目のページをめくってしまったことが引き金。なんか、おんなじこと、書いてない?仕切り直しって言えばきれいだけど。そういえば、と2019年の手帳の1枚目も見てみる。仕切り直しが仕切り直されていない。5年日記じゃあるまいし、繰越目標ってそもそもどうなんだろう?そんなに長期目標を掲げるのなら、小さいことからコツコツクリアしていったほうが満足度があるんじゃないか?
例えば。「捨てる決断力を持つ。Simpleに生きる。」
まあ、読み返してみれば。グローバルだわ。何いってんだか。わかりにくっ!(苦笑)。そのココロは「自分に必要のないものは捨ててしまおう。物も人も感情も。断捨離。」。人との付き合いとか、仕事とか、自分から背負い込んで自分で疲れて自分で頭にきちゃあ、そりゃあもう自滅コースまっしぐらだから、「捨てたい」とずっと思ってた。見なければ気持ちをすり減らすことも、関わらなければ自分が答えを求められることもない、っていう気持ちだったのね。こうやって改めて分析するとどれだけ追い込まれてたんだ?って、そんな気持ちだって自分で勝手に背負い込んでんじゃあねーよって言われそう。なに、肩で風切ってるつもりになってんだい。
例えば。「年間100万円貯金!」
60歳からの老後に1人2000万円かかるとTVで話題になっていたのがきっかけだと思う。100万円を12で割ると8万円。1ヶ月8万円貯金できると年間約100万円。わたしが今50代だからこれを維持できると2000万円貯められる、という試算(笑)。まあ、言ってください。「それ、取らぬ狸の皮算用。」って。この試算が今までの買い物の意識を改め「捨てる決断」にも結びつく。ほんと、壮大だけど、当たり前。ここで気がつきゃあいいいものを、つい「昔」の気持ちのまんまで生きているわたしは、「以前」の会社と「今」の会社での収入の変化を考えていなかった大誤算。「以前」は正社員で月給でそこそこいただいておりました。でも「今」は時給で非正規で新潟県の最低賃金プラスちょっとの自分になぜ8万円ラインを導き出したのか、狸さんもびっくりよ(笑)。
Mustが多すぎる。自分に強いているものがありすぎている。大げさだけど自分で自分の首を絞めている。これを2021年に持ち越しちゃあ、いずれ潰れちゃうね、わたし(笑)。そんなに自分をいじめなくてもいいんじゃない、って2020年当初のわたしに言ってあげたい。その前の2019年のわたしにも。よくやった部分も良いところもあったはずなのにMustで消しちゃってたかもな。できなかった部分だけを取り上げてMustで再目標にしてたのがここ数年。そりゃあ窮屈だわ。誰もほめてくれなくてもわたしはわたしをほめてあげなきゃいかんよね。
買い物を吟味するようになった。それって要るか要らないか自分で判断できた、ってことじゃない。そこは偉いよ、わたし。100万円は貯まらなかったけどSimpeな生活になってきたんじゃないかな。2ミリくらいは成長してるよね。そこに気づかなきゃ。2020年にもこんな些細な気づきがいっぱい散らばっていたはずなのに、ほんの数ミリの成長があったはずなのに、10センチ以上じゃないと成長じゃないなんて勝手に思っていた。
プールで泳いでいると、「この腕のかきがうまくいかない。」って相談されること多いけど、それって鏡に映ったわたしなんだよね。今までよりもストリームラインが良くなったことは「当たり前」で、できない部分だけを大きく取り上げて「ダメだ。」って言ってる。相談されるわたしも上手くなったところをほめずに「もう少し腕がまっすぐになるとね。」なんて言っちゃってる。今度はちゃんと言ってあげよう。「この前よりもうねりが良くなってる。」って。できた部分に蓋をしない。素直に喜ぶ。
ほめられるとつい「でもここがイマイチ。」って言っていたのをやめよう。「嬉しい!」ってピースしよう。これは2021年の目標にしてもいいかな。
2020年の総括を始めた今日はこんな1日でした。明日はどんな気づきがあるかな。
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