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「今日はこんな1日でした。」

1年の終わりが近づくこの頃、つい気になってしまうものが2つ。

その1つが手帳。

スマホにどんな便利なアプリが出ようとも、この時期には手帳売り場に多くの商品が並んでる。「書く予定がそんなにあるわけじゃあないからマンスリーだけでも大丈夫。」って思っていても、ペラペラと見本をめくっては「ああ、惜しい。ここに方眼メモがあれば。」なんて、さっきの大丈夫はどこへいった?ってなることもしばしば。毎年のように雑誌に特集される手帳活用術。付箋やマーカーを駆使してびっしり書かれているページを見るたびに、凄い充実ぶりにただただ、ほおおとなるだけで、あまりにも共通点がなさすぎて参考にもならない。綺麗な絵本を見ているのちょっと似ている。きまってそういうのを見ると軽く落ち込む自分がいる。

まあ、人は人。黒一色よりはカラフルなのは可愛いよね。

わたしも5色ボールペン必須。そこは似てる。TO DO(イベント)は黒、というような自分だけの決め事もある。付箋もいるね。買い物リストを書くようになってから無駄なお買い物をしなくなった。いいことだ。繰り越す時は次月に貼ればいいし。

手帳とは。未来へのTO DOの他に、「ああ、こんな1日でした。」という日記。

例えば今日はお腹が痛かった、とか。いっぱい歩いていっぱい水を飲んだら便秘が解消したとか。こんなことを後から振り返ったところで戻れるわけはないんだけど、つい書いちゃう。分厚いお肉を食べたらお腹が張ったとか、は後々参考になるはずなのに、同じ過ちを繰り返してしまう。戒めになってないね。これは水色。水に流したいことがいっぱい書いてあるから。

今日はのりちゃんと〇〇に行った、は大事。どこに行ったかをすぐ忘れてしまうわたしにはこの記録は、「ほら、9月に行った〇〇は良かったよね。」と自分が忘れていませんよ〜というアピールになるので絶対書いておく。場所の名前をすぐに忘れてしまい、「え?忘れたの?」と強く呆れられたから、行った場所と何を食べたかは赤ペンで必ず書く。時には二重線で強調もする。

「ああ、こんな1日でした。」のほとんどは、感情の揺らぎ。

体の中で渦巻いているものを文字にすることで整頓する、写経感覚。キラキラすることよりもイジイジしていることが多い。「がんばろう!」とかはあんまりないな。「ああ、こんな1日だったよお!」って叫びが書かれてる。連日だと毎日ペンの色を変えて書いている。1日の区切りがわかりにくいから。

ああ、でも今年の手帳を振り返ると。おんなじ揺らぎが何度も出てくるよ。全く成長していない。解決していない。行き着く根っこはおんなじ。2021年の目標に繰り越すのか?繰り越される目標ってハードルを上げすぎなのか。成長が目標なのか。成長しなくちゃいかんのか。どんだけひどいんだ、わたし。

そろそろ「ああ、こんな1年でした。」の時期。ちょっと総括しなくちゃな。








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