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遠距離恋愛4年してみての振り返り
北海道と長野県の遠距離恋愛を4年していた。
遠距離が解消されて同居を始めて1年経った今、今までの流れを振り返ってみたいと思う。
はじめに、付き合ったのは2013年の夏。
同じ大学の、年は2つ上、学年は1つ上の哺乳類と付き合った。
付き合った頃は、お互いの家もチャリで10分ぐらいのところに住んでいた。
会いたいときにいつでも会える距離だった。
一緒にいる時間も長かったと思う。
力学や微積のテスト前などつらいときでも一緒に勉強して楽しかった。
そんな期間も8ヶ月で終わった。
楽しい時期は一瞬で終わる。
2014年4月になると私のキャンパス移転に伴い、伊那に引っ越した。
車で1時間半前後の距離になった。
引っ越しをするときは寂しかったけど
車を手に入れたので、行動範囲が広がって楽しみが増えて、結果オーライだった。
毎週運転がんばって週一ぐらいの頻度で会いに行ってた。
そのうち、何で自分ばっかり会いに行かなあかんの?という不満が出てくる。
そう思ってからは、たまに向こうから来てもらうようにした。電車やバスで2、3時間かけて来てくれていた。
そんな大学生活を3年間過ごして、
私が一足先に就職した。例の哺乳類は入院中(大学院)。
就活は、自分のやってみたい仕事と長野県でできる仕事を天秤にかけた結果、自分のやってみたい仕事を取ることにした。
合わんかったら辞めればいいわ〜とそんなに深く考えてなかった。何とかなるマインド。
就職先は、全国に配属先がある職場だった。
面接で、第3希望まで配属先の希望を伝えるときに、長野県以外思いつかなかったので、軽い気持ちで北海道と答えた。
北海道配属になった。
「北海道行ってもいい?」と聞く私に、
「いいよ。」と彼は言って、送り出してくれた。
正直、寂しさもあったけどワクワクも大きかった。北海道好きだったので。
そこから本格的に遠距離恋愛が始まった2017年の春。付き合って4年目。
北海道に来てから知った、いちど北海道配属になったら基本的にずっと北海道内でぐるぐる転勤することを。
なので、長野県に異動したいという希望は通らないだろうし、まず東京を経由してからじゃないと無理だねと偉いひとに言われた。
まあなんとかなるか、精神で
北海道ライフを過ごすことにした。
あんまり深く、重く考えていなかった。
北海道1年目は、札幌で過ごした。
新千歳空港から、LCCの飛行機が多く飛んでいるので、安い時は名古屋まで往復1万円で行けた。
交通費は、高くはない給料でやりくりできる範囲だった。
2ヶ月に一回ぐらい会っていた。
ただ飛行機は、価格を抑えるために、いつも早めに予約かつ返金なしなので、一時期ケンカ別れしていたときにも行かざるを得なかった。お金だけ払って飛行機に乗らないという選択肢はなかった。
まぁそれでも、海鮮食べたりビール飲んだり、ドライブしたり、会うのは楽しかった。
働き始めて半年でまた希望を出す時期が来た。
第一希望は、長野と書いた。
第二希望に、知床と書いた。
4月から知床配属になった。
長野の希望通らなかった…ショック…ってのは一ミリもなくて、むしろ知床での仕事楽しみー!!だった。長野は現実的ではないと分かっていたから。
そんなわけで社会人2年目は、札幌から400km離れた知床半島にあるウトロという、漁業と観光で成り立つ町で過ごすことになった。
希望した理由は、世界遺産に関わるという仕事内容がおもしろそうだったから。実際は、仕事の大半は、地味でできていたけど。
結局、知床で3年過ごした。
非現実的な日常で、楽しかった。
知床にいたときは当たり前だったけど、今思えば珍しかったなと思うことたくさんある。流氷とか、動物とか、夕陽とか、みんな顔見知りの人付き合いとか。
で、知床にいると最寄りの空港が女満別空港と中標津空港になる。どちらも車で2時間かからないぐらい。雪の日だと大変。あ、それぞれ「メマンベツ」「ナカシベツ」って読みます。
便数の多さと価格面で女満別空港をひいきに使っていたけど、
当時はANAとJALしか飛んでいなくて、結構交通費が痛かった。
交通費だけで年間50万円ぐらい使ってた。
それでも早割を活用して、少しでも交通費抑えようとしていた。だから3月に会う予定を10月に計画してたり。(はっやwww)
なんだかんだ2ヶ月に一回ぐらい会ってたかな。
いつも女満別19:00発羽田空港行きの便に乗ってた。
21:00に着陸して、21:15の羽田発の電車に乗らないと新宿から松本行きの最終バスに間に合わない。いうて松本に着くのは1:43。深夜である。
なお、飛行機の到着は一定じゃないので、いつもチキチキレースしてた。多少の遅延があったときは恥を捨てて全力疾走してた。
おかげさまで羽田空港から品川、品川から山手線で新宿にいくための最短ルートとかどの車両に乗るべきとかそういう情報が頭にインプットされた。
このように2ヶ月に一度会うだけじゃなく、遠距離を始めてから、毎日LINEしてた。
毎日LINEすると決めていたのではなく、気が付いたら毎日LINEしてた。
義務じゃなくて習慣になっていたので、全然面倒じゃなかった。
それはお互いそう言う。
正直、一緒に住んでいたら楽しいだろうなぁと思うことはあっても、遠距離恋愛がそんなに寂しいと思うことはなかった。
休日も友人と遊んだり、一人で遠出してみたり、
そこそこ充実していた。
一人でも楽しめる術が身に付いたのは遠距離しててよかったと思うところ。
ちなみに知床にいた3年間も毎年、異動希望を出していた。長野県に行きたいでーすって。理由が弱すぎて全然通らなかった。
最終的には、開き直って、東京希望にした。
大学卒業してそのまま松本に就職していた哺乳類とは、「東京と松本だったら山梨に住むか?」とか「東京ならドラえもんで楽しめるね!」とか色々話していた。そういう話をするのも、また楽しかった。
とりあえず最後は、東京じゃなくても新千歳空港に近いところになればいいと思っていた。
が、知床3年目が終わる頃、いわば社会人5年目に突入する頃に希望が通った。
一言で言うと、めちゃくちゃ運が良かった。札幌時代から真面目に働いてきたことの積み重ね(人脈)とでも言っておこう。
こうして無事に長野県内の配属になったので、そこで遠距離は終了。
4年間、長かったけど、楽しかった。
北海道生活、とても楽しかった。また北海道で暮らしたい。
次は、一緒に暮らしたいと思うのもまた事実。
次会える日まであと2週間、1週間と楽しみにしていた感情、なかなか会えなくて会う時間が貴重だった感覚、言葉にできないものたくさんあるけど、忘れずに大事にしまっておきたい。