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#大人になってから出逢う友人との距離感の難しさ

タイトルにあります様に,大人になって出逢う友人との付き合う為の距離感を痛感しています。まずは,その友人との出逢いからお話をしたいと思います。昨年の或る日,共通の場所に居合わせて言葉を交わしたことから,知り合いになった,という感じから始まりました。御互い共通のその場所を離れる時に,「私達って運命の出逢いかもしれない。こんなにも沢山の人々でごった返している中で,私達はこうして言葉を交わしたことで,一緒にお茶しているんだから。」そうなんです,「これも何かの「御縁ね!」同時に口にして,お茶したのでした。御互いの連絡先を教えあったのは,いうまでもないです。、その友人は新幹線で地元へ。友人は新幹線の中で,私とメールでお喋りをしました新幹線を降りるまで。御互いに出逢った興奮を押さえきれなかったのだと思います。その後,私達は出逢った共通のことについて,メールや通話を楽しみました。或る日は1時間を過ぎるほどお喋りに弾んだりも有りました。その友人地元で開かれると知れば,私は様々な関係者へ問い合わせては友人へ連絡を入れていました。友人にたいへん喜んで貰え私も現地へ訪れる想いになっていました。私は「WAKWAK」テンシヨンはMAXです。「やつぱり,私達は出逢うべくして出逢ったのね!昔からの知り合いみたい!」な~んて暫くは話していましたね,友人は。私も同じ想いでした。そして,新年になり,友人から新年の挨拶LINEに入りました。でも…,私は諸事情ですぐには連絡を出来ずに。連絡を出来る様になった2月にLINEを入れたねけですけど,,全然,返事は来なくて…,2月の下旬に心配になり何かアクシデントでも起きたのでは?と思って,連絡をしましたら,数日後に届いた文には「新年の挨拶をやったのに,無視していた。私はあなたのその考えは理解できない。もうこのLINEまでです。私への連絡は止めて下さい。今まで有り難うございました。」一方的な言葉を投げつけられました。その瞬間に頭を過ったのは,昨年11月にも又々私達共通する場所で再び会った日のことでした。当日,新幹線でやって来る友人を待ってる間に,構内にある様々な売店を周り,友情のしるしに小物て帰りの新幹線で食べて貰おうと和菓子を持参していました。差し上げるとたいへん喜んでくれて,私も笑顔を見られて幸せに満ちていました。でも…一方的な厳しい言葉の数々を読んで,「大人になっての友人は,なんと難しいのだろう!大人になっての友人は出来にくい?」とつくづく感じました。「築き上げるまでの時間を考えると,なんと容易く崩れてしまうものか!?」たまたまであって,全てじゃないかもしれませんけど…。そして,ここまでではないのです。つい先日のこと。Twitの記事に私達の出逢ったきっかけになった,共通することに関係する内容を,みつけたので電話を入れました。まず,私の口から出ました言葉は「ごめんね!電話を掛けて…」でした,「別ににいいけど!」応答でした。その後,電話を掛けた理由と共通の記事についての話をしましたら,「そういう話をやりたかった!」私は「そういう話」とはどのことだろう?暫く考えていました。それというのは,共通のことについての話の間に,2月から疎遠になっているのに,こうして電話を掛けたお詫びや,当事は新年の挨拶をなかなか出来ないでいたことへの謝罪の言葉を,前回に引き続いて,謝罪をしていましたので,てっきりそのことかと思っていましたら…,違っていたのです。共通の話題について「話やりたかった!」だったのでした。何度も繰り返す謝罪については一切触れて貰えませんでした。友人にとって,「新年のことについて許さない!と共通の話題で話やりたかった。」は,次元の違う話なんだ,と気付きました。それを察した私は電話を切る前に,「今日はごめんね!電話を掛けて。」少し間をあけて「……,いいけど。今度,電話する。」そして,今日までの間にLINEを届けましたけど,既読さえやって貰えていません。想っていることと,言葉とは違うんだ。つくづく想い知らされています。時々,耳にしますよね!「人間は裏切るけど,お金は裏切らない!」なんた分かる気します。皆さんは,どうでしょうか?PS私から差し上げたプレゼントは,どうなっているのだろう?。

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