私は操り人形 じゃない其1-1
今日は少し私自身について書こうと思います。二人の子供は既に社会人になっています。数年前の或る夜,娘は前日に母親の私との口喧嘩で,帰宅時間を過ぎても自宅に戻っていませんでした。息子は多分,自室に居たのでしょう。その辺りの記憶は定かでは無いのです。娘は幼い頃から,とても気の強い子供で,1度こう,と思うと一歩も譲りません。私は自身の「信念」で,譲れない事あるんです。「約束は守ること。決めた時間は破らないこと。嘘をつかないこと。挨拶を出来るようになること。善悪の正しい判断を出来る人になること。」これ等については,社会のルールとしても身に付けて欲しくて,幼い頃から少し厳しく躾を行って来ました。反抗期も普通に有りました。丁度,二人の子供の反抗期は重なり,散々な年月を過ごしました。「社会人になり,少しは社会勉強は出来ているかな?職場で様々な方々の中で働き,人との関わりあいで学んでいるでしょう。」実際は違っていたのです。なぜか娘は,母親に対して何かと攻撃的でした。そしてその夜,娘の連絡無しで時間を過ぎても帰宅していなその時,隣の部屋から叫び声です。突然の事で私は,「ビクッ!」すぐに怒鳴り声に変わりました。「家族みんな,バラバラになれ!子供も働き始めたから,アパートでも借りて自分で生活やれ!オマエは実家へ帰るにしろ,好きにやれー!子供達も成人したから,オマエはもうよう無い。この家に居なくても良い!オマエ,子供達に厳しくやって来たから,こうなるんだ!」私はこの時,本気で「この家を出ようか?」と心の中で考えていました。『子供達も社会人になり,一人で生活出来るから,私はお役目は済んだ?!』私の心に音を立て,『グサッ!』とその言葉は刺さりました。辛くて辛くて,涙は止まらず,声を押し殺して泣いていました。その時,頭に押し寄せてくるのは,結婚前の実家での暮らしの数々でした。目の前の辛さだけの涙では無くて,実家を懐かしむ涙でも有りました。私の両親はけして,子供達の前では喧嘩や片方を怒鳴りつけるようなことは,有りませんでした。私は見た記憶は無いのです。ここの家では子供達の目の前でも平気です。…そして,今夜の出来事です。帰宅時に私の入浴中に重なると,「だいたいの帰宅時間は分かるだろう!」と,だいぶ前に経験あるので,今夜は連絡を入れました。予定の帰宅時間は過ぎていました。「これから,シャワーやりたいのだけど,…良いかな?」普通はこの様な連絡なんて入れませんよね。「…あ~頭に来た!」「何に?」「規制された!」「すぐに帰宅して!なんて言ってないです。じゃ良いです。帰宅後に私はやりますから…」1度,電話を切りましたら,間もなく折り返し掛かって来ました。「7:30に帰宅するから,今すぐにやれー!!」私はこの時,『なぜ私はシャワーを自分の意思でやれないのか?「7:30に帰宅する,今すぐにやれー!」なぜ,シャワーを命令されてやらねばいけないのか?なぜ,意のままに動かせられなければいけないのか?私は操り人形じゃないのに奴隷制度無い!』
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