コンプレックスは終幕、インターネットは最高
先日の公開ファンレターのブログが奇跡的にバズり、多くの人からリプやDMを頂いた。
もう10年近くTwitterをやっているが、こんなに人から声をかけられたことがないインターネット人生だったので普通に驚いたし、あんなに長文なのに読んでくださってありがとうという感謝でいっぱいになった。
もちろん批判的な意見もRT先で見かけたが、直接死ねとかふざけんなみたいなことを言ってくる人は居なかった。鍵垢の先ではもう絶対色々言われてるだろうけど、まぁその辺は仕方ない、私は言いたいことを言った。清々しい。それだけのことである。
もらったリプの中で、
「言いたかったことを代弁してくれて、ありがとうございます。」と言ってくれる人がとても多かった。
「達央くんが好きだけど許せなくて、
でも戻ってきて欲しくて、
その話題を出すのもちょっと怖くて」
みたいな事を聞くたびに、
わかる、わかるよ……と、
こちらも共感して、その度涙が出た。
気持ちを分かり合えて嬉しく思った。
共感は救いだよね。ちょっと気が軽くなる。
この世界に同じ事を思ってる人が自分だけじゃないんだってわかると安心するよね、大丈夫です、同じ気持ちの人間1万2000人くらいいるっぽいです。大体武道館の収容人数くらいと思えば、ちょっとホッとするよね。
こちらこそありがとうと思いながら、全部のリプと引用RTを読んで回った。
言いたいことを言っただけなのに、
「自分の気持ちを素直に言語化出来ててエライ」とか
「自分の気持ちに真摯に向き合って、葛藤しながらも文字にできてエライ」
という褒められもいただいた。
個人的にはそれがとてつもなく嬉しかった。
『オタクのテンプレみたいなお気持ち表明ではない。ミームに囚われず真摯に自分の気持ちに向き合っている、それがすごい』と書いてくださった人もいた。
え、、まじ、、?国語の先生のコメントじゃん、、、
そんなこと言われたこと無かったので驚いた。すごく嬉しかった。
恐らく、
そう褒めてくださった多くの方が自分より年下の様に感じたんですが、
今時の教育ではそういう風に人のことを褒めたりするのだろうか。
自分の意見を自分の言葉で発信できることを「すごい」「えらい」ことだと、言われて育っているのだろうか。
だとしたら最高にハッピーじゃん…!と思った。
正直羨ましいし、その方針で進めて欲しいと強く思う。
なぜなら、私の世代では「反省文はこう書きなさい、作文はこう書きなさい」みたいな、テンプレに押し込むことばかりを強制された思い出しかないからだ。
日記や作文はこうかくもの、と教えられた小学生時代、私の日記はいつも先生の赤ペンだらけで真っ赤だった。
素直に書くと怒られるのだ。
飼ってる犬が可愛いかったとか、ご飯で出てきたチャーハンにベーコンが入ってて、初めてベーコンを知った、美味い、とか書くと
一言一句直された。
ベーコンとは何か、説明を入れなさい(先生はそんな食べ物知りません)とか、
毎日犬のことを書くのはやめなさい、毎日別の新しいピックを見つけなさい、とか。
そんなこと言われても犬はめちゃくちゃ可愛いし〜♡と、無視して犬のことを書き続けたら、ある日放課後先生に呼び出されて、
竹刀(というか黒板を指す時の竹の棒?)をバキッ!!!と折り曲げ、「何度も同じことを言わせるの、やめなさい!!!」とめちゃくちゃ怒られて泣いたのを覚えている。
ヒステリックな女の若い先生だった。
それ以来、私は先生のことがめちゃくちゃ怖くなり、怒られたくない一心で媚を売る様になった。
先生の思い描く、理想の「子供の日記」を毎日書く様になったのだ。
先生の言って欲しそうなことを毎日考えた。
妄想と、ちょっとだけ真実を織り交ぜた嘘を並べるようになり、私の文章は「大人の微笑む、表現力豊かな子供らしい感性の文章」ということになった。
先生は私を可愛がってくれたが、私は最後の最後まで先生が苦手だった。というか、はっきり言ってめっちゃ嫌いだった。うるせぇクソブス、口曲がってんだよとか普通に思ってた。死んでも言えなかったけど。
こうして、私は自分の素直な気持ちを見つけることすら下手くそな人になった。
「大人の求めてる言葉」「大人の求めてる子供像」を提出するのは奇しくも変に上達してしまい、
作文やら読書感想文のコンテストは入賞するけど、その文章の中に私の感情なんて1ミリも入ってなくて、担任の先生がマジ怖い、くらいしか考えていなかった。
ただ、書くと大人に褒められるので、嬉しくて書いたのも覚えてる。
顔色を伺うプロの子供と化した私は、俗に言うアダルトチルドレンに成長し、その後、テンプレ通りに鬱病も引きこもりも経験することとなった。
「自分の素直な気持ち」がなんなのか、
わからない、わからないから伝えられない。
日記のもつ本来の意味である「出来事を文字にする。感情の変化を文字にする。」という作業的な部分を行ってないから、自分の感情を誤魔化したり、向き合えなくてよくわからないから蓋することが多くなったように思う。
だから昔から友達が少なかった。
脳内はこんなにおしゃべりなのに。
自分の気持ちを、人に伝えることが上手く出来なかったのだ。
だからこそ、
どう考えても「自分の気持ちに素直になる」というのはめちゃくちゃ大切なことだと思うし、
日々、自分の感じたことを素直に言葉にしていかないと、いざというとき
「あれ、これ本当に私のしたいことなのかな?」とか
「本当に私はこれで良いと思ってるのかな?」とか、
自分で自分のことわからなくなっちゃうから
「思ったことを素直に言葉にする練習」として、日記を書くことはめちゃくちゃ大切なことだよな〜と、改めて思った。
別にそれを人に見せなくていいんだよ。
自分が見れればさ。
今回の件で、沢山の方に
「自分の感じたことを素直に言語化できてエライ」と言ってもらった事で、
私の中でコンプレックスみたいになっていた幼少期の思い出が、スッと一つ消えてくれたような気がしている。
『自分の思った事を、自分の言葉でちゃんと表現できました、えらい!』
と、たくさんの人に花丸をつけてもらったようで、とてつもない達成感、小学二年生から続いてた長年のコンプレックスがこれにて終幕!みたいな感じで、嬉しい、本当に嬉しいです。
読んでくださった方、リプくださった方、わざやざDMくださった方、本当にありがとうございました。
ちなみに。
私が鬱病から立ち直った大きなきっかけの一つが、鈴木た…げふん、タダノドウテイさんの出演されている「ラッキードッグ」なんですけど、
Switch移植版が1月20日に発売予定だそうですドンドンパフパフ〜〜!!!!(祝)買う〜!!!
この世には、ボボボーボボーボボで鬱病から立ち直った人がいる様に、
BLゲームで鬱から立ち直った人間がいるんです。
すごくない?COOL JAPANサイコ〜!!オタクってサイコ〜〜!!!楽しすぎ〜〜!!!死ぬまで一生オタクやる〜ッッ!!!!みんなも一緒にオタクやろ〜〜ッッ!!!!!
鈴木達央くん、元気?!早く戻ってきてね!!!オタク死ぬまで待ってるから!!今年の冬は寒いらしいから、風邪ひかないようにね!!!!私はラッキードッグでジャンさんの声聞いてから「嘘でしょ、えっちすぎ、世の中にこんなえっちなことあるの?もう、なんでも真面目に考えすぎるのやめよ……」と思って死ぬのをやめたし、オタクとして第二の人生を始めたよ!!だからあなたに感謝してます。
達央くんも反省しつつ元気出してな!!!また会おうな!!!!!ℬℐ𝒢 ℒ𝒪𝒱ℰ…🥀
犬飼いたい