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踊らにゃ損損37歳

誕生日だった。ついにレベル37になった。あまり実感がない。正直に言うと心はまだ12歳だ。外国のカラフルな色のお菓子にいまだに興奮するし、今年もピンク色のコートを探している。いつ着るねんという服をいまだに衝動買いしてしまうし、ヤンヤンつけ棒をいまだに喜んで食べる。貯金はまだない。

想像していた大人とはあまりにかけ離れているが、それでも私は幸せだなぁと思う。本日に至っては誕生日ケーキも食べてないし、今さっきまで残業していた。この後も予定はないし、家に帰って早くお風呂に入って寝たい。そんな感じだけど『満たされてるなぁ』と、今日一日の中で何度も思った。なんなら、今までの誕生日の中で1番満たされてると思ったかもしれない。特別なことなんて何もなくても、日々の中に嬉しいことが沢山あるから。私って恵まれてるし、ラッキーだし、故に今日も晴れ渡る晴天!
なんていうか、そう思える自分の感性に満足しているんだと思った。


この一年、良いことも悪いことももちろんあった。でも、結果として全て良い方向に繋がっている。
もうダメかもと思うことは、恥ずかしながら毎年のように何かしら起きるけど、
何度すっ転んでも、自分の手足でどうにか起き上がれることを知っている。人より転倒回数はかなり多めではあるが、その分、他者より立ち直り力が身に付いていると実感する。

「あんたは、本当に懲りない女だね」と笑われた時、「でしょー?笑」と思った。もはや誇らしくすらある。

不死鳥的な力強さはほとほと無いが、
何度沈没しても浮き上がる幽霊船、何度殺されてもぬるっと生き返るキョンシー、死んだ数よりいつも1つだけ残機が多い人生。そういう感じがある。ギリギリでいつも生きていたいから、AH〜というKAT-TUNのあの曲は、もしかして私のことを歌っていたのカモ〜!くらいに毎日笑って暮らせている。他人から見てそれがちっとも面白く無いギャグであっても、ふざけたり、冗談を言ったり、ネットミームで爆笑出来るくらいの余裕が今の私にはある。これを成長と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。「なんてことない毎日をなんやかんやで楽しく過ごせる感性」、これは私の、私自身が育てた、私そのものみたいな感じがある。自我という名の我が子。人は、自分で自分を育てたって良い。

田舎の小さな教室の隅で泣いていた自分も、
上手く人と関われなくて苦しかった自分も、
好きな人にゴミみたいに扱われることに慣れていた自分も、
全部丸ごと受け止めて、自分自身で可愛がって、慰めて、応援して、抱きしめて、大丈夫だからねって言い続けて育てた、私の感性だ。

もう死んでも誰のものにもならない。
誰にもあげない。
誰のためにも生きない。
自分のために生きる。 
普通に9時から20時まで働いているしがないただの労働者なのに、心はこんなに自由だ。
自分の魂が自分のものだと思えるから。
誰にも支配されてない今を、心から愛せる。
独身であることを憐れむ人は令和の現在でも沢山いるが、支配的な男に小言を言われずに、好きな料理を作って、好きなものを食べて、なんの奉仕もせずに自分で働き、自分の給料で気持ちよく生活できる37歳の私を最高に愛おしく思う。
ここから先の私の手は、誰かの皿を洗うための手じゃない。ここから先の私の足は、誰かの忘れ物を取りにわざわざ冬の夜中に走るための足でもない。私が楽しく、気分よく、踊るための手足だ。私のことを大切にしてくれる誰かと踊るための手足だ。私が大切にしたい人を、踊るステージに引っ張り出すための手足だ。

ねぇ、それって最高じゃん!!!!!!



数年前、離婚した時、「恋は戦争、私は敗戦国」という本を書いた。その時は本当にそう思ったからそういうタイトルにした。自分は負けたんだと思った。
でも、あれから4年経った今思うのは、『例え敗戦国でも独立できて良かったな』ということだ。
あの時は怒りや呪いみたいな気持ちがすごくあったけど、今って「そんなことより〜♪」という、前向きな気持ちの方が強い。怒りとか憎しみに囚われずに能天気でいられることが加齢のせいなら加齢に万歳だし、加齢に感謝だ。私は元から怒るのが下手だから、単純に長時間怒ってる事ができないダケなのかもしれないけど、だとしたらそれで良かったなと思う。

ぬるっと建国し、独立国家として旗を上げて、自分の名前で契約した家に住み、ぬるっと力を蓄えて、少しずつ好きなことをやってみたり、やってみたかったことをやってみたり、なんかこう華々しく生きてた瞬間というのはほぼないと思うけど、
目には見えない上昇気流がいつもゆるかやに流れていて、私はいつも恵まれている。周りの人にも、会社や仕事に関してもそう。大抵今も1人でいるし、私の最小単位はいつも「私」という一人称だけだけど、それでも関わってくれる全ての人が穏やかで、おおらかで、優しい人達ばかりだから、こうして満たされた気持ちでいられるんだと思う。環境って大事だ。人格に影響する。そうやって自分が穏やかになればなるほどに、似たような人が続々と集まってくる。これもウソじゃなかったなぁと知ることができた。本当に嬉しい学びだった。


「踊る阿呆に踊らぬ阿呆、おなじ阿呆なら踊らにゃ損損~~~♪」と歌っている阿波踊りは、庶民たちが好き過ぎて熱狂していたため、江戸時代に何度も禁止令を出されたという。
いつの時代も支配者たちは、踊るタイプの阿保を嫌う。人々のその明るい熱気が、自分を揺るがす狂気に見えるからだ。

私は踊る。踊るように暮らす。死ぬまでずっと、全てを面白おかしく、歳をとることさえもウケるぜ⭐︎と言って全力で楽しむ。どうせ人はいつか死ぬし、死後10年も経ったらきっと誰も私のことを覚えていないだろうと思う。
それでいい、全然構わない。
その代わり、生きてる間は楽しく踊る。
恥ずかしがらずに、物怖じせずに。やってみたいことを全部やる。行きたいところも全部行く。

私は昨日、37歳になった。
何も恥ずかしくない。
こうやって穏やかな気持ちで日々を過ごせるのなら、1人だろうと2人だろうと何十人だろうと、人生ってすごく素敵なものになるんだろうなと、いまだに信じられる。 
今年の私も最高だった。
来年の私は、もっと最高になること間違いない。
出会ってくれる全ての人に感謝を、そして踊るための毎日に、なんてことない毎日を楽しめる心に、超特大のBIG LOVEを、ここに寄贈する。

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